死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
福島第一原発の現場でそのとき何が起きていたのか。吉田昌郎所長をはじめとする事故現場の人々を取材して、生々しい証言を引き出し、修羅場の日々を浮かび上がらせる。むさぼるように読ませる内容だ。
「やっぱり、一緒に若い時からやってきた自分と同じような年嵩の連中の顔が、次々と浮かんできてね。頭の中では、死なしたらかわいそうだ、と一方では思っているんですが、だけど、どうしようもねぇよなと。ここまできたら、水を入れ続けるしかねぇんだから、最後はもう(生きることを)諦めてもらうしかねぇのかなと、そんなことをずっと頭の中で考えていました。」
現場では誰を現場へ突入させるかの判断を何度も求められていた。ベント作業のために誰が手動でバルブを開けに行くのか。サプレッションチェンバーの圧力がゼロになり爆発の危機が迫る中、誰が現場に残り、誰が退避するのか。命のかかった決断だった。
「東電全員撤退」報道の真実、管総理の第一原発視察騒動が現場に与えた致命的な混乱、津波で建屋に閉じ込められた運転員の恐怖、現場に残った「フクシマ・フィフティーズ」の実態、自衛隊や協力会社の社員たちの献身的な活躍が丁寧なインタビューで明らかになっていく。
「あの一週間は、すぐ隣の公邸にも帰らずに、夜も総理執務室の奥の応接室のソファに、防災服のまま毛布をかぶって寝ていました。一人になった時は、こう頭に浮かぶわけですよ。日本はどうなるかな、と。まさに背筋が寒いですよ。チェルノブイリは結局、軍隊を出して、それで、みんなにセメントを持たせて、放り込んで石棺をつくるわけですよ。それで、相当の人が亡くなっている。軍隊を投入して、相当の犠牲者を出して抑え込んだわけですよね。そういうことは私も知ってますから、どこまでいくんだ、あそこから逃げだしたらどうなるんだと、ずっと考えていましたよ。」と管総理。
そのとき、吉田所長も斑目委員長も管総理も、最悪の場合はチェルノブイリの10倍以上の放射線被害が発生して、日本は北海道・青森と、居住不可能な東北および関東地方、それより西の3つに分断されると覚悟していた。吉田所長ら現場の人間はもはや生きて帰れないと考えていた。そんな頃に国民の多くはマスメディアを通して「直ちに影響はありません」という大本営発表を信じていたことになる。また本物の危機が起きたときに、国家や大企業の非常時の意思決定システムの危うさを知り、個人はどう判断すべきかを考えるという視点でも、この本は読む価値がある。
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