二十四の瞳
読むのは3回目。中学時代、大学の頃、そして今、Kindle版で読んだ。若いときに読んだ二十四の瞳を、私は反戦や反貧困の社会的メッセージの本として受け止めていた。感想文を書く、教養のために読む古典という意識が強かったからかもしれない。なんだか硬い単語を交えて、真面目でつまらない感想文を書いた記憶がある。
いま四十を過ぎて、自由に読む二十四の瞳は、そういう社会的メッセージの印象が薄れて、人のつながりの素晴らしさの方が印象深かった。大石先生は足をけがして、12人の生徒と一旦は別れるがまた4年生で担任として再会する。そして大人になってからもまた生徒たちに呼ばれて旧交を温める。戦争や貧困で子供たちも先生も時代の波に翻弄されて大変だったけれども、こんな素晴らしいつながりは、恵まれた環境でもそうそう作れない。
ソーシャルネットワークができて、卒業生同士や教員が常につながり続けることができるようになった。これは良いことなのだけれども、二十四の瞳で描かれたような再会の重み、切ない思い出というのは、だいぶ薄れてしまう気がする。フェイスブックに投稿したデジタル写真はいつまでも色褪せない。原題にはないセピア色の美しさがこの小説にはあるなあと。
日本映画の傑作のひとつとして数えられることも多い名画。
1位 映画『二十四の瞳』(木下恵介監督、高峰秀子主演)。音楽の使い方が素晴らしすぎる。ちゃんと3番まで歌わせる。繰り返す。現代の映画にはない時間感覚が新鮮。1年生時代と6年生時代の子供たちがよく似ているのはオーディションで、よく似た兄弟を選んで出演させたからというのはトリビア。
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