〈身売り〉の日本史: 人身売買から年季奉公へ
人間が人間を保有する、売り買いするとはどういうことかを日本の歴史(主に中世以降)にみる本。
日本には中世からつい最近(2005年)まで人身売買罪というものがなかったそうだ。人が人を所有し、売りとばすことは長い間リーガルだったのだ。中世では、飢饉になったとき、飢えて苦しむものがいたら余裕のあるものが買い取って使用人として使うことを認めていた。人道的な理由で奴隷を認めていたわけだ。
「厄介者」という言葉もそうした慣習からでたものらしい。
「子どもだけでなく、一家全員で親類や縁者の家に転がり込むという方法もあった。厄介とも呼ばれる。食べさせてもらい住まわしてもわう代わりに、一家総出で厄介先の仕事を手伝うことになる。「親類境界」の養助というのがこの厄介に相当する。ただし、地のつながった血縁親族、あるいは厄介先で主の家族として扱われるのではなく、主の指令のままに仕事をせざるをえない隷属関係に置かれることになる。」
現場ではどんなコミュニケーションや情緒があったのか、知りたいところではあるが、ともかく、生きるために人間が自分自身をを売るという行為を社会が納得するための装置として身売りがあった。
「みてきたように、禁止された「人売り買い」は一貫してかどわかりと不法な人商い業であった。当然、元禄十一年以降も禁止され続けた「人売り買い」の対象も基本的にはその二つであり、親子兄弟札における「人売り買い」の対象もその二つである。中世~近世を通じて、主人が譜代下人を、親が子女を売買することを禁止したことはない。」
近代化に従って身売りは正規の雇用契約へと立法化されていった。社会に組み込まれた制度の一部になった。
そして江戸社会以降は売春目的の「身売り」までも制度化されて隠蔽された。これを「養女・飯盛女への身売りが雇用労働契約として位置づけられ、寄って集って人身売買ではないように装い飾り立てた結果である。」と著者は指摘しているが、合法化することで非人道的な売春がまかりとおることにもなった。合法な売春制度こそなくなったが、巧妙に売春が隠蔽されているのは現代でも同じだが。
「身売り」と雇用契約のあいだを考える資料として非常に面白い本だった。
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