暗号 情報セキュリティの技術と歴史
暗号。ある文章を第三者に分からないように別の文字や数字に変換すること。本書では合言葉やパスワードはその定義に含めない。
著者は情報セキュリティ大学院大学の創設時の学長 辻井重男氏。現代情報社会の基盤となっている暗号技術の発展の歴史と、共通鍵暗号、公開鍵暗号、零知識対話証明などコアテクノロジーを解説する。暗号とその周辺についての教養を深めると同時に技術の本質をつかむことができる科学読み物。
紀元前のスキュタレー暗号、アルファベットをずらすだけのシーザー暗号からはじまって技法の高度化、複雑化が進み、ナチスドイツのエニグマ暗号あたりまでを、著者は古典・近代暗号の時代と呼ぶ。そして1970年代に生まれたDES制定と公開鍵暗号という画期的事件からをポストモダンの時代と定義する。
その暗号技術の革命の意味は、
「1 同一組織内に限定して秘密に使用されていた暗号が情報ネットワーク社会の信頼関係を築くための公開的共通基盤技術となった。
2 秘匿を主な機能としていた暗号が、それと合わせて、人・モノや情報の真正性を保証し、情報に信用を付与して、情報流通を促進するための、認証機能、すなわち署名・改竄防止機能を持つこととなった。
3 コンピュータにより暗号化(秘匿)、復号あるいは、署名、検証を高速に行うとともに、不正な解読や改竄に対しては、いかにコンピュータを駆使しても計算量が爆発するように暗号装置を設計するようになった。」
と総括されている。
これらの革新を可能にしたのが新しいアルゴリズムの発明であり、共通鍵、公開鍵、零知識対話証明といった代表的なポストモダン暗号の数理的な解説が後半のテーマとなっている。
暗号のしくみはややこしい。だからといってあまりに要約して比喩だけにすると、本質が伝わらないものだ。この本では基本的な数式と図表を使いながら、ある程度、理系の素養のある読者に向けて丁寧に説明がなされている。最後は「フェルマーの定理」や楕円曲線理論とつながるなど、科学系読み物の読者を飽きさせない要素も多く織り込まれているので、あきらめずに読みすすめやすい。
歴史的にみると日本では「人間の悪意に対抗するための工学的体系」=「鍵の文化」が根付くのが諸外国に比べて遅かったという文化人類学者の引用があるが、これは今も変わらないと思う。企業や政府の重大な不祥事があっても責任者の謝罪で終わってしまいがちで、問題が起きるアーキテクチャーの議論がなかなか進まない。セキュリティの技術で何ができるか、意思決定者が知らないからというのもひとつの原因だろう。
ポストモダンの暗号技術で人間社会の何が守れるのか、運用していくうえで何が危険性となるのか。より多くの人が、この本にでているような知識を、この本のレベルくらいで、常識としておさえておくことが重要だと思う。
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