天平の甍

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・天平の甍
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連続して読んでいる井上靖。

8世紀前半の天平の世に、第九次遣唐使発遣にあたり留学僧として選ばれた普照と栄叡。二人が与えられたミッションは、日本に戒律をもたらす高僧を招聘すること。仏教伝来から日が浅く、放埓に流れ次第の仏教界の現状をただすには、それが一番だと考えられていた。高僧の信頼を得て連れ帰るには、10年くらいの歳月が必要と覚悟しての出発。当時の造船技術では、大陸への航海は常に命がけのプロジェクトであった。

結局、10年間をかけて二人は唐の高僧鑑真をみつけて、日本への招聘を承諾させるが、度重なる失敗で、普照と失明した鑑真が日本にたどりついたのはさらに10年後、つまり出発から20年後のことだった。苦難の留学僧の奮闘と、鑑真渡来という仏教界の大事件を、井上靖が史料にもとづきながらドラマチックに描いた。

二人以外にもさまざまなタイプの留学僧たちが登場する。

業行という僧は、唐に渡り30年近く数千冊に及ぶ経典をひたすら筆写し続けた変人。普照と栄叡が尋ねると写した経典に埋まって生活しており、「まだ、なかなかです。始めたのが遅かったんです。自分で勉強しようと思って何年か潰してしまったのが失敗でした。自分が判らなかったんです。自分が幾ら勉強しても、たいしたことはないと早く判ればよかったんですが、それが遅かった。経典でも経しょでもいま日本で一番必要なのは、一字の間違いもなく写されたものだと思うんです。いまでも随分いい加減なものが将来されているんでしょう。」という。

自身の才能を見限り、オリジナルの経典筆写に人生を捧げる覚悟がすごいが、相当なビブリオマニア(愛書狂)だったのではないかと思う記述が多数で、妙な親近感がわいてしまった。本とそれを読む静かな環境さえあれば何もいらないという人生観で生きていたのではないだろうか。遣唐使の時代の留学僧というと国費留学のエリートを想像していたが、そういう人ばかりでもなかったというのが発見であった。

井上靖の作品。

http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/05/post-1646.html

・後白河院
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/05/post-1645.html

・おろしや国酔夢譚
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/05/post-1644.html

・しろばんば
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/02/post-1381.html

・孔子
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/11/post-168.html

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このページは、daiyaが2012年5月31日 23:59に書いたブログ記事です。

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