日本の歴史をよみなおす
「聖徳太子は倭人であっても日本人ではない」
中世までの日本史観を大きく変えた網野善彦の名著の文庫版。続編も収録。
日本の社会は十四世紀の南北朝動乱以前と以降では大きく変容しており、その転換期を調べることで、中世日本のイメージをとらえなおす。そこには教科書的常識とは大きく異なる、現代と異質の文化・社会が広がっていた。
民衆の生活や風俗に目を向けることで、時代の本質が見えてくる。たとえば被差別対象の非人はかつては違った意味を持っていた。著者は非人とは中世以前はケガレに関する職能であったと指摘する。日本文化のケガレとは「人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたとき、それによって人間社会におこる畏れ、不安と結びついている」ものだが、十四世紀を境に社会が文明化されるに従い、ケガレに対する見方が畏怖、畏敬から、汚く汚れた忌避すべきものという現代の感覚に変わっていった。
「非人は神人・寄人と同じように、一般の平民百姓とははっきり区別されており、不自由民である下人、つまり世俗の奴婢ともまったくちがう存在で、神仏の「奴婢」として聖別された、つまり聖なる方向に区別された存在であり、ときに畏怖、畏敬される一面ももった人びとであったといわなくてななりません。」
非人はケガレを清める力を持った聖別された職能民として社会に位置づけられていたのだ。後に卑賤視され差別へとつながっていったわけだが、当時は現代社会とは異質の社会構造があることが明らかになる。
「海賊」「悪党」が交通路の安全や手形流通の保証に密接に関わっていたとみられることや、公的世界からは排除されていた女性が現実には力を持っていたことなど、歴史の表舞台から消されてきた存在に光を当てていく。
そして網野史学の大きな特徴が農本主義的中世の見直しだ。農業を基礎にした封建社会という旧来の中世観に異議を唱える。百姓=農民ではないというのだ。既に中世社会では商業資本、金融資本が動き、貨幣制度が機能し、海の交易も活発だったことが史料からわかっている。統計的には百姓に分類されているが、その他の職業を兼業している人口も多かったはずなのだ。少数の貴族と武士の支配階級、その他は貧しい農民というステレオタイプは嘘なのである。資産を持つ商業民だって大勢いたのである。
網野善彦は、ケガレ、非人、遊女、海賊、悪党...。中央政府や為政者の歴史ではなく、名もなき民衆、周縁とされてきた人々の社会と風俗に重点をおいて歴史を語る。国家の歴史ではなく、本当の日本人の歴史を読んだ気がした。
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