柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方
作家 高橋源一郎と翻訳者 柴田元幸の対談。小説を書く、訳すプロであると同時に、確固とした文学論をもった二人なので、雑談が深い。二人で海外の小説60冊+αと日本の小説60冊+αのリストをつくって、それについてしゃべりまくる第3章、第4章の「小説の読み方」はブックガイドとしてもすばらしく充実している。
高橋源一郎は近代文学は何か大きな敵と戦うことがテーマだったという認識で、現代文学の現状を語る。
「大文字のテーマというものは何でも「これに対して抵抗するぞ」というふうに否定形で語られるテーマなんです。で、それがなくなってきた時作家の側は、結局個別に対処するしかなくなったんだと思います。それまでは戦闘が集団戦だったんですね。だから○○派だとか○○軍団みたいになっていたけど、いまやもう全部ゲリラですよね。だから、文章・才覚でそれぞれの場所で好きなように戦いなさいって(笑)。とすると武器は文章しかない。」
ちなみにこれは『リトルピープルの時代』より前に出た本だ。これに対して翻訳者の観点から柴田元幸は、こんなふうに返す。
「柴田 中原昌也は実際の翻訳をみて、意外に訳せるなと思いましたね。やっぱり紋切り型っていうのはどこににでもあるから、その面白さを伝えればいい。でも、町田康、古川日出男、ああいう日本語はどうしたら訳せるんだろうと思います。そういうことを考えると、小説よいうものはそもそも思想で読ませるのではなくて文章で読ませるものなんだと実感します。学校教育では「この小説は何を言わんとしてるか」とやっているけれども。」
何を語るかよりどう語るか、文体が改めて焦点になってきたということだろうか。近年の文学賞をみていても、新しい文体が売りの若手が目立つ。
「書き方」編では、高橋源一郎は純粋に自分の詩を書くことが本当にできないという告白が興味深い。創作をするには、作品の種類によって異なるモード、ノリが必要であるという意味のようだが、小説家の頭の中をのぞけた気がした。
「高橋 詩だと意識し出した途端、想像力がまったく働かなくなるんです。でも、小説の中に登場する詩だってことにすると書けるんですね。ある詩人の生涯を書けって言われて、彼が書いた詩であれば平気で書ける。自分でも謎なんですよ。」
で、人間の脳にコピーガードみたいなものがかかっていて、本人の意思ではなくて、ふっと解けることがあれば、誰でも小説や詩を書けるようになるという話。ちなみに、たくさんの小説を翻訳している柴田氏も小説は書けないそうだ。
文章はいっぱい書くのに、小説を書けない私としては、具体的なコピーガードのはずし方を知りたいところだが、ヒントをもらった気がする本だった。
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