贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ
クリスマスプレゼントを渡す日ですね。
「贈与の最盛期」である15世紀後半の日本の贈与儀礼を研究することで、日本独特の贈与文化が浮かび上がってくる。お中元のやりとりが若者層で低調になっても、まだまだ日本人は贈答好きだ。結婚祝い、香典、出産祝い、入学祝い、年賀状...。バレンタインデーができたら、返礼のホワイトデーもすぐに定着した。日本の民法はいかなる理由があっても贈与の撤回を認めていない。贈与の保護が厚いのはなぜか?。起源は中世にあった。
世界の歴史をみると贈与は「神にたいする贈与」から始まる。それが国家や領主に対する税に転化していく。キリスト教と密接に結びついていた中世ヨーロッパの贈与と異なり、日本では比較的早い段階で贈与が宗教と切り離され、より世俗的な用途が主体のかたちに変容していった。
贈与は、贈与者と受贈者の二者だけで完結するものではなく両者の関係を律する外部の別の支配者があったと著者は指摘する。それは神とは限らない。広義の「法」であり「先例」がそれに変わった。
中世武家社会で贈答は経済的な側面がつよく、見返りを期待する功利的な贈答儀礼の性格が強くなった。賄賂ではなく前例によって受ける当然の報酬「役得」という言葉もこの時代にうまれた。中世の人々は損得勘定に敏感でつり合いが取れる「相当」であることを強く求めた。対称的返済、同類交換の原理は、現金の贈与にまで発展する。現代でもそれは結婚祝いや香典のような形で続いているが、現金が平気で贈答されることは日本の贈与の特殊性であるそうだ。
現金の贈与もまた中世がはじまりだ。さまざまな贈与の形態が解説されている。たとえばこの時代には「折紙」が発明された。贈与をする側はまず金額を記した「折紙」を先方に贈り、現金は後から届けることができた。この「後から」の時期は記録によると1年以上後であることもある。だから贈与者は手元に現金がなくともとりあえず贈与ができる。そして大抵の場合、それは賄賂であったから、相手が期待にこたえてくれるかを現金を渡す前に確認ができ、贈り損もなくなるというわけだ。後年、この折紙は債権として流通することもあったという。現代では祝儀や香典に金額を書いた紙を使うのが名残のようだ。
『贈与論』のマルセル・モースやモーリス・ゴドリエは、贈与には4つの義務があると定義した。
1 贈り物を与える義務(提供の義務)
2 それを受ける義務(受容の義務)
3 お返しの義務(返礼の義務)
4 神々や神々を代表する人間へ贈与する義務(神に対する贈与の義務)
世界にはこれらの組み合わせの強弱からさまざまな贈与慣行や儀礼が生まれてきたが、とりわけ中世の日本では功利的で商取引のような贈与慣行が発達してきたことがわかる。東南アジアの人類学で取り上げられるポトラッチ(競争的贈与)のようなエキゾチックな贈与儀礼ではなく、キリスト教圏の神への贈与でもなく、現代の私たちの文化と地続きの、贈与文化が中世にあった。贈与には国民性がでるものということがよくわかる本であった。
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