リトル・ピープルの時代
とても面白い。虚構の時代から拡張現実の時代へ。ユニークな社会文化論。
シリーズ最新の仮面ライダー フォーゼは、初代仮面ライダー世代の私からみたらとにかくヘンだ。バッタみたいな仮面ではなくて、ロケットみたいな被り物を被っている。昔だったら正義の味方ではなくてショッカーの怪人の一人のような外見だ。ストーリーもシリーズ初の学園物で異色の展開。主人公はリーゼントに短ランのツッパリ風だが、転校してくるや「全校生徒と友達になってやる」と宣言して皆に呆れられる。空気の読めない主人公をアメフト部長一派がリンチしているとモンスターが現れる。主人公は友達が持っていたフォーゼドライバーを装着して、仮面ライダーに変身し、怪物を倒す。そして仮面ライダー部を結成して学園の平和を乱すゾディアーツと戦う日々が続いていくことになる。
仮面ライダーはシリーズ作品として40年間、脈々と続いてきた。しかしこういう特撮モノは、マニアをのぞいたら子供時代の数年間ハマるだけの番組だから、昭和も平成も広く知っている人は少ない。実はこのシリーズは知らない間に、社会の変化を反映する形で、単純な勧善懲悪からより複雑な人間ドラマへと変化を続けていたのである。
著者は、日本を代表する二つのヒーロー ウルトラマンと仮面ライダーの40年間のほぼ全作品を、並の頭の読者ではついていけないほど丁寧に丁寧に分析していく。すると、あら不思議、そこに日本の時代精神の変遷が鮮やかに浮かび上がってくるのだ。それは著者によれば、ビッグブラザーの死であり、リトルピープルの台頭という変容である。
「もはやビッグ・ブラザーのもたらす縦の力、遥か上方から降りてくる巨大な力ではなく、私たちの生活世界に遍在する横の力、内部に蠢く無数のリトル・ピープルたちの集合が発揮する不可視の力こそが、現代においてはときに「悪」として作用する「壁」なのだ。大きなものから距離を取り、解体していくことではなく、遍在する小さなものにどう対するか、接するか、用いるか。無数に蠢くリトル。ピープルたちにいかにコミットするか───そのモデルを提示することこそが、現代における「正義/悪」を記述する作業に他ならない。」
小説『1984』に登場したリトルピープルのはたらきって、具体的にはなんだろうか?著者は貨幣と情報のネットワークが代表的なそれであると指摘している。
「ビッグブラザーという近代を支えた疑似人格回路は「政治の季節」の終わりとともに徐々に壊死を始め、人々はこの回路がもたらす「大きな物語」を虚構の中に求めるようになっていった。しかし、グローバル/ネットワーク化の浸透によってビッグブラザーが完全に死した現在───国民国家よりも貨幣と情報のネットワークが上位の存在として君臨するようになった現在、私たちが虚構に求める欲望もまた変化することになる。貨幣と情報のネットワークが世界をひとつにつなげた今、虚構は<ここではない、どこか>───すなわち外部に越境することではなく、<いま、ここ>───この現実の生活世界の内部を掘り下げて、そして多重化することでその姿を現す。」
現代社会は大きな物語という外部を失い、ひたすら自己目的化するコミュニケーション連鎖が広がっている。その世界から逃げるのではなく、むしろ内部へ深く深く潜ることで世界を変えていくことができると主張する。必要なのは革命ではなく、ハッキング。
もうひとつの世界という虚構の大きな物語をつくりだした時代は終わり、現実の世界に小さな物語を立ち上げる拡張現実の時代に我々は生きている、と。何が正しいか、何が価値があるかわからない時代になった、自分が信じられるものを信じるしかない。小さな物語万歳、要するにTwitterとかニコ動とかラブプラスとか、もっとやれ、どんどんやれ、無数のリトルピープルが拡張現実をハックすれば世界が変わるぞと、わかりやすくいえばそういうことみたいである。
仮面ライダーとウルトラマンの徹底分析の章は正直、長くてマニアックで、読むのが大変骨が折れたが、時代精神の変容を抽出した結論としての文化論は、納得と共感できる内容で、素晴らしい出来だと思った。途中で投げるともったいない。頑張って全部読むといい本だ。
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