平家の群像 物語から史実へ

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・平家の群像 物語から史実へ
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平家の歴史を、清盛に焦点をあてるのではなく、清盛の孫の維盛と清盛五男の重衡を中心に平家一門の群像劇として語る研究書。日本中世史が専門で平家について研究書をたくさん書いている神戸大名誉教授の本。賢人重盛、暗愚な宗盛、運命の語り部知盛といった構成に脚色された平家物語のイメージをくつがえす。

まず清盛についても大胆な仮説ではじめる。軍事力が背景にあったとはいえ、閉鎖的な貴族社会の中で、清盛の位階の躍進がなぜ可能であったのか。

「清盛の母は白河法皇身辺の女性で、法皇の子を身ごもったまま忠盛に下賜されたらしい。その子が清盛で、つまり彼は法皇の落胤と目されるのである。」

清盛の家格を超えた異常な出世のスピードの背景には、天皇家との血のつながりがあったはずだという。平安末期における位階表(正一位、従一位、正二位、従二位...)の解説と現実の運用状況などの説明もある。本来はこの家格ではここまでが上限というリミットがあったのに、それを超えたのはなぜかの推理。

そして清盛自らは福原(神戸)に身を置き、朝廷と絶妙の距離感を保ちながらも、平家一門を有力ポストに配置して、巧妙な天下支配を実現した絶頂期の平家の主要人物たちの役割。清盛死後の敗走と敗北に至るまでの歴史。平家物語のバイアスをとりのぞいた形で、史実を明らかにしようとする。

「頼朝の幕府の画期性を信じて疑わない人びとは、平家のそれとの多くの共通性を見落としていると思う。頼朝の歴史的評価は、幕府を創設したことにあるのではなく、平家の創りだしたひな型を踏襲し、その手法をより厳格、より本格的に追求した点にもとめられるべきである。」

著者は日本中世史における平家の役割を非常に高く評価している。


・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html

・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。

・琵琶法師―"異界"を語る人びと
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1034.html

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このページは、daiyaが2011年10月22日 23:59に書いたブログ記事です。

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