馬たちよ、それでも光は無垢で
東北の大震災と原発事故があってからしばらくして、フィクションを落ち着いて読めるようになった頃、私は古川日出男の『聖家族』という作品のことを思った。なんということだ、あの東北の怨念の物語、中央に対する抑圧と抵抗の物語が一層の真実味を帯びてしまったではないか、著者は残酷な現実を受けて続編を書くことはあるだろうか、と。そしてやはり作者はそれを書いた。絶望と怒り、そして再生への祈りが深く刻み込まれた強烈な作品になった。
「私は福島県の浜通りに生まれた。私は浜通りに行かなければならない。」
震災から一カ月して作者は福島へ入る。小説家としての使命感に駆られて。そして自らのつくりだしたキャラクターである狗塚家三兄弟の長男 牛一郎の魂が、彼に乗り移り鬼気迫る言葉を語り始める。
「そこへ行け。
ここへ来い。
見ろ、現実を。
書け、小説を。」
この小説にドラマはなにもない。ただ作者である古川が、被災地を車で視察し、ときどき降りて、3.11の地獄を回想する。避難区域で置き去りにされた馬たちの姿を見る。放射能に静かに汚染された自然を見る。悲しさと怒りによって連想する事柄が断続的につづられていく。魂の叫びを思いっきり原稿用紙にぶつけた。
「私たちはどうすればいのか。
私たちは誰も憎めない。
だとしたら、そこにしか希望はない。
私たちは憎まず、ひたすら歩くしかない。
復讐を考えずに歩く。
報復を考えずに歩く。
私の脳裏にふいに言葉が浮かび、それが声になる。
それが声になる。声はこう言った。
生まれてきたっていいんだろ?」
物語は連続しておらず、続編とは言えないが、生まれてきたっていいんだろ?はまぎれもなく『聖家族』だ。作者が書かずにはいられずに書いた作品であり、読まずにはいられない読者がそれを読む。作者とともに東北の不幸を嘆く鎮魂歌みたいな作品である。血みどろの傷を見るみたいな作品である。あの傑作の続きがこんな悲惨な現実になるなんて、ただただ悲しく、くやしい。
・聖家族
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/post-905.html
・ベルカ、吠えないのか?
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/01/post-341.html
古川 日出男のもうひとつの傑作。
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