本はどう読むか
昭和の社会学者 清水幾太郎の体験的読書論。
第一次世界大戦の頃、少年だった著者は青少年向けの時代活劇「立川文庫」に夢中になる。忍術、殺人、遊郭、拷問、強姦が随所に出てくるのがよかったと率直にはまったきっかけを書いている。やがて、それに飽きると、詩集や哲学書など、より高いレベルの面白さを求めて、難しい本を読むようになる。その読書遍歴の動機を「虚栄心に駆り立てられて」だとか自分だけの「秘密」の読書などという、わかりやすい説明で明かす。
著者は本を3つに分類する。
実用書 生活が強制する本
娯楽書 生活から連れ出す本
教養書 生活を高める本
実用書は読まざるを得ないから読むのだし、娯楽書は好きに読めばいいのだから、として主にこの読書論は教養書の読み方に重点を置いている。教養を高めていくための読書術、メモのとり方、選び方、整理のしかた、外国書の読み方が主な内容だ。
読書や探究には、いくばくかの不純な動機や刺激、悪徳があったほうが向上しやすいのではないかという意見が面白い。清水幾太郎といえば東大を出て、読売新聞論説委員から、学習院大学教授になった人である。
「哲学の歴史や諸科学の歴史を調べてみると、真理への愛だけが学者たちを動かしていたのでないことに気づく。もちろん、真理への愛がなかったら、何事も始まりはしないが、それと相混じて、虚栄心を初めとする醜い悪徳が彼らを駆り立て、しかも、そこから思わぬ業績が生まれていることがある。同僚を蹴落とそうとして、その学説に反対したり、有名になろうとして、極端な学説を編み出したり......、それがはからずも、立派な成果を生むことがある。」
欲望に駆られて知的探求をする。それがこの人流の読書術、探究術ということの基本みたいだ。
初版が1972年なので、「マスコミ時代の読書」では、活字メディアに対して、テレビという映像メディアが現れてきたとして、ふたつを比較しているところは時代を感じる。知識のカード・システムによる整理というのも、いまなら主にパソコンで管理するものだろう。一部記述が古くなった部分はあるものの、紙の読書論としてはいまもなお学べる記述が多い古典である。
・読書術
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/11/post-1103.html
・読書論
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/post-932.html
・読書について
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/post-913.html
・読書という体験
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-569.html
読書の歴史―あるいは読者の歴史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1047.html
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