創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史
演歌はいつから「日本の心」なのか?
昭和を歌う演歌は不思議である。登場人物の多くが、下積み中の流しの歌手であったり、不幸な身の上のホステスだったり、不倫で心中しようとしている女だったり、一般大衆というにはプロフィールが偏っている。その人生は経済成長の時代背景に反して「暗く、貧しく、じめじめして、寒々しく、みじめ」なイメージに満ちている。
著者はまず「日本の心」としての演歌は60年代にはじまり70年代に完成した比較的新しい文化なのだということを明らかにする。明治・大正には社会批判を歌う演歌の伝統があったが、昭和の演歌とは別物であり、それは昭和40年代のレコード業界の再編と専属歌手制度と密接な関係があったそうだ。流し、ドサ回り、長い下積みといった要素は歌手のおかれた背景に由来する。
「推測するに、設立当初のクラウンレコードは経営難であり、派手な広告も打てず、レコードを立て続けに発売することもできなかったため、結果として地道な実演や各地の盛り場の「流し」との連携を通じて一曲を長く売らざるをえなかったのではないでしょうか。それがいつの間にか「演歌の世界の常道」として定着してゆき、今日まで繰り返される苦行のような商店街のレコード店や有線放送局でのキャンペーンといった各種の「言葉」が、業界の「伝統」や「しきたり」としての意味を負わされるようになってゆくのです。」
そして著者は、明るく豊かになった人々が、近代化や経済成長から取り残され疎外されたアウトロー的人物像に対して、ある種のやましさと憧憬を持ちながら称揚したのが「日本の心」としての演歌であると結論している。
「「演歌」ないし「艶歌」が「日本的」なものとして真正性を付与されるにあたっては、股旅やくざと遊女、その現代版としてのチンピラとホステス、そうした人々の空間である「盛り場」といった、「健全なお茶の間」の公序良俗の空間から危険視されるアウトローと悪所にこそ「真の」民衆性が存するのだという発想があった、ということです。」
時代遅れになってしまった人たちを歌っているわけだから、演歌は最新の楽曲でも常に古臭いものなのだ。下層・アウトサイダーの逸脱がメディアを通して、民衆的・大衆的な「国民文化」として定着していく事例は他国の音楽文化にもある普遍的な現象として位置づける。アメリカのルーツミュージックしかり、ブラジルのサンバしかり、アルゼンチンのタンゴしかり。
逆に、エリートやお金持ちを歌う国民文化というのは、大衆社会の力学的にありえないのであろう。流行歌というものが、個の才能(歌手や作詞家、作曲家)によるものであると同時に、同時代の社会学的な構造に規定されて、生まれてくるものだということを明らかにした本でたいへん面白い。研究的にも相当価値のある内容だと思う。
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