アメリカン・デモクラシーの逆説
民主主義の共和国であると同時に世界に君臨する帝国、アメリカの抱える矛盾。
「もともと共和国は、啓蒙主義思想に基づく自治精神を基盤とするとともに、啓蒙主義の持つ普遍性・普遍化への意思を内包している。かたや、古典的帝国の特徴は「完結した一つの世界」として自らの統治を提示する態度にある。それゆえ、帝国の内部では民族・宗教・言語的な多様性について比較的寛容なのに対し、帝国の外部については、その存在を積極的に認めることはなく、しばしば制服や略奪の対象にすらなった。共和制と帝政では政体の主体がまったく異なることは自明だが、実は、動作原理そのものは類似している。」
ゲーテッド・コミュニティ、メガチャーチ、ストリート・ギャング、カラーライン、恐怖の文化、オーディット文化、...。自由市場と民主主義、多文化主義、個人主義が行きつくところにある歪みを著者は取り上げていく。日本人はいまだに米国に模範を求めがちだが、米国の抱える闇は深い。
オバマが大統領になれる多様性の国でありながら、いまだに肌の色は見えない壁をつくっている。全米では230万人、成人100人に1人が服役中であるという。収監者の7割は非白人で、人口の13%に過ぎない黒人が全体の半数を占めるという。黒人の3人に1人が生涯に一度は収監される計算になる。そして監獄の運営は民間に委託され巨大な獄産複合体を形成している。
個人主義や契約と訴訟の文化も社会に大きな弊害をもたらしている。
「アメリカでは幼い子どもが自らの親を告訴することも珍しくないが、結婚前に財産の割り振りや互いの義務、責任の所在などを事細かに取り決めする婚前契約書(prenuptial agreement)を交わすケースも1980年代以降増加している。これらは公的領域の論理と力学が私的領域を包摂していることを示唆する例であると同時に、アメリカの訴訟社会化と密接に結びついた現象でもある。」
多文化主義の原理主義化として少数民族の優遇政策の行きすぎ事例などが紹介されているが、要は米国と言うのは中庸という美徳を知らないのだ。この本では米国の主義や原理を追究しすぎるあまりに、人間が疎外されている様子を、いくつもの「逆説」にみることができる。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: アメリカン・デモクラシーの逆説
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.ringolab.com/mt/mt-tb.cgi/3247