蕨野行
映画化もされた「姥捨て山」モノの傑作。「龍秘御天歌」の村田喜代子。
押伏村では60歳になった老人を蕨野という丘へ送る。粗末な小屋でひと冬を過ごせるかどうかを試す。ちょうど60を迎えるヌイは仲の良い嫁に、村の秘密の掟を教える。
「ヌイよい。 弱え年寄はワラビ野にては、命保たぬなり。かならず死に尽きて有るやちよ。このようにして六十の齢のジジババを、ふるいにかけて選るなり。命強く生きる年寄は残し、弱え年寄は早々に逝かせるべしよい。六十の関所と申すはこのことにて有るやち。 数年に一度くる凶作はどのようにしても免れずば、若え者、小児の糧をばワラビのジジババの命と替えて養わんか。昔からの押伏の知恵はこの法なり。されば他村に秘し、里の内の若え者等にも明かさずにきたるやち。」
ヌイよい。
お姑よい。
と互いへの呼びかけですべてのパラグラフが始まる。
現実には接することができない嫁と姑の、テレパシーのような魂の往復書簡のなかで明かされる9人の老人の生きざまと死にざま。社会の限界と可能性と両方を明らかにする寓話的な物語。
この作品は辺見庸が解説を書いているが、チェルノブイリの話がでてきて驚いた。
「それは、ウクライナはチェルノブイリ原発二、三十キロ圏の、立ち入り禁止区域となっている村でかつて出会った年寄りたちである。見渡す限り無人の雪道で、なにかの影のように蹌踉として歩いていた。それが『蕨野行』の風景に重なって見えるのだから妙なものだ。1986年の原発事故でいったんは住民の全員が疎開した。ところが、どこの疎開先も物価高で、一家の生活がままならない。老人は若者より放射能の影響が少ないと信じられている。で、子供や孫と離れて、千年は住めないといわれる立ち入り禁止区域に老人ばかりが続々戻ってきた。実質的な口減らしである。彼ら彼女らは、外国から食料援助が届いても食べずに、疎開先の孫らに送っていた。放射性物質が濃く漂う空の下で、細々と汚れた畑を耕し、緩慢な死を待つ。が、夜ともなると、自家製酒を飲み交わし、自棄ともまがう活気を呈するのである。」
姥捨て山は伝説だが、これは現実で恐ろしい。
・デンデラ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/10/post-1095.html
棄てられた老人集団が村を襲撃しようとするデンデラもよかったですが。
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