勲章 知られざる素顔
凄く面白い5つ星の新書。
十字軍の戦士が身につけた十字架の記章を起源とし、日本では「薩摩琉球国勲章」を嚆矢とする勲章とその制度は、実はそれを運用する法律がない。明治の勅令や太政官布告によって運営されている。諸事情と経緯を背負った不思議な制度である。
日本では春と秋の叙勲で約4000人ずつ、高齢者叙勲、死亡叙勲、外国人叙勲、気兼業務従事者叙勲、緊急叙勲を含めると受勲者は年間2万人を超える。対象は「国家又は公共に対し功労のある者」。最高位の大勲位菊花賞頸飾の下に、総理大臣ら政治家や公選職、民間人系の旭日大綬章、公務員系の瑞宝章の2系列があり、それぞれに重光章、中綬章、小綬章、双光章、単光章と続く。国家・公共にとっての功労とは何か。2003年の改革で勲一等のような数字による等級区別は廃止されたが、その度合いが等級によって序列化されるしくみにかわりはない。だから受賞者をみれば典型的な旧体制の価値観が勲章授与のありかたからみえてくる。
過去には政治家、官僚、軍人に偏っていたが、昭和になってから文化勲章による文化功労者への授与も広がった。必死の「運動」をしてまでも、名誉の勲章を欲しがる経営者もいるそうだが、あからさまに人間をランクづけする制度として批判や辞退者も少なくない。
この本に引用されている勲章制度に対する人々の意見を私が気になったものだけ抜き取って、時代順で並べてみる。
「現在子供の世界はまさにワッペンに明けワッペンに暮れるばかりのありさまです。この流行におくれをとってはならぬとばかりにりっぱなおとなたちが叙勲を急ぐありさまは、童心に返ったほほえましい姿」石橋政嗣衆議院議員(社会党) 1964年
「文化勲章と言うのは、家が貧しくて、研究費も足りない。にもかかわらず、生涯を文化や科学技術発展のために尽くした。そういう者を表彰するのが本来のやり方とは違うのか?」昭和天皇 1971年ごろ
「世論の反対の前に民主的な栄典法をつくることができず、いまなお明治八年の太政官布告に基づいて行われていることや、その叙勲が、かつての天皇の臣下にたいするごとく、政治家や官吏が高い階等を占め、黙々として働く一般の国民には低い回答しか認めないことなどは、天皇の前にひな段の格差をつくることであて、それはひいては復古的な天皇制の空気を生みだすことにつながりやすい」朝日新聞社説 1976年
「それにしても勲章の如きものに人は何故かくも執着するのか。真に世の為、人の為に陰ながら尽くした人々を顕彰するは結構なることなれど、既に功成り、名遂げたる高位、高官の物欲しげなる態、誠に見苦しきものなり。これを見れば、大体その人の器量は解るものなり。」 細川護煕 元首相 1993年
「政治家や官僚に比べ歌手や俳優、落語家など芸術分野で活躍した人に十分報いていない。美空ひばりや石原裕次郎が勲一等にならないような制度はおかしい」亀井静香 自民党政調会長 1999年
批判は常にあるが、一方で叙勲を受けた人たちが感激と喜びを感じていることも事実。国家としてはカネをかけずに功労者に報い、国家への貢献インセンティブをうみだすことができるおいしい制度という側面が強い。だから世界のほとんどの国に勲章制度は存在する。
この本では、日本の勲章制度の全貌、歴史、そして批判と改革の方向性が詳しく解説されている。勲章制度というマニアックな切り口だが、意外にもそこから、国民の名誉欲とそれを利用する国家システム、日本社会の本質的価値観が立ちあがってくるのが面白い。
「切腹」「殉教」「かたき討ち」も日本人を知る上でいい切り口だったが、勲章も同じだ。
・切腹
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/10/o.html
・殉教 日本人は何を信仰したか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/post-1199.html
・かたき討ち―復讐の作法
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-814.html
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