ケアの本質―生きることの意味
看護師の患者に対するケア、教師の生徒に対するケア、親の子供に対するケア。その人の成長や自己実現を助ける行為=「ケア」の本質とは何かを、少し立ち止まって考えたい人のための、一般読者向け哲学書。この本のケア論は対象を人間に限らない。作家の芸術に対するケア、自分が信じる哲学的観念に対するケアなど、哲学・医療・宗教・芸術の領域にまで広がっている。
ケアとは一方的なものではありえない。ケアを通して自分もまた生きるということ。
「≪専心のひとつの帰結として導き出される諸義務は、ケアを構成する本質的な因子である。私はそれが、自分に押しつけられたものとか、必要悪とは感じないのである。私が行うことになるであろうこと感じている行為と、私がしたい行為との間には、一つの収斂点がある。≫病気の子供のために、深夜医師を迎えにいく父親は、これを重荷とは感じとっていない。彼はただ、その子供をケアしているだけなのである。同様に、ある哲学的概念について考えているときの、種々の観点から何度も何度も考慮・思考する必要は、私に押しつけられた重荷ではない。私はただ、その観念をケアしているだけなのである。」
著者曰く真のケアは相手の成長をたすけること、そのことに専心することによって自分自身を実現する。「ケアは、私がこの世界で"場の中にいる"ことを可能にする」ということが重要だ。"場の中にいる(In-Place)という造語は本書の中心的な概念である。自己の生の意味を生きることは、私と補充関係にある対象をケアすることによって"場の中にいる"ということなのである。
"場の中にいる"人生には安定性がある。病気の子供のために、前述の深夜医師を迎えにいく父親であるとか、災害現場で自分の身を危険に晒しながらも患者に向き合う医師であるとか、信念のために働く社会起業家のもつ安定感。知識、忍耐、正直、信頼、謙遜、希望、勇気といったケアの必要事項を自然に満たしている。
「人は自分の場を発見することによって自分自身を発見する。その人のケアを必要とし、また、その人がケアする必要があるような補充関係にある対象を発見することによって、その人は自分の場というものを発見する。ケアすること、ケアされることを通じて、人は自分が存在全体(自然)の一部であると感じるのである。」
相手に対してどうするのがベストかを考えているだけでは、真のケアには不十分で、自分の成長や環境との調和までも含めて、考えていくべきものなのだというきづきを与えてくれる名著だった。
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