三陸海岸大津波
実はこの本は大地震が起きたから読んだのではなくて、たまたま私の個人的な、吉村昭作品通読活動の一環で1月ごろに読んでいた。ブログで紹介しようか、この1週間、相当迷ったが、地震についての何らかの情報提供になると思うので書く。
三陸海岸は昔から何度も大津波に襲われている。記録にあるだけでも、西暦869年から2011年までで21回に及ぶ。1千年以上にわたっておよそ50年おきに被害をこうむってきたことになる。本書では作家 吉村昭が、直近の明治29年、昭和8年、昭和35年の大津波について、綿密な取材をもとに、その全容を綴ったドキュメンタリ作品。初版は昭和45年6月。
明治の三陸大津波はとりわけ巨大だった。今回の津波は15メートル程度と言われているが、明治三陸では高さ50メートルに達したという。当時、8メートルの防潮堤を築いた村もあり、専門家は「それで十分」としていたという。歴史は繰り返してしまった。(津波の高さを正確に測るのは難しいとも吉村は書いている)
前例を見ないマグロの大漁、深い井戸の濁り、鰻の大量出現、狐火など、前兆が毎回記録されている。そしてドーンという大音響とともにやってくる大津波。被災の悲惨な模様が津波を経験した人々の語りやこどもたちの作文から伝わってくる。今回も大被害を受けたとしてテレビ報道される田老村は、過去においても、津波被害が最も激甚だった地区として本書に何度も登場する。
「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している。海底地震の頻発する場所を沖にひかえ、しかも南米大陸の地震津波の余波を受ける位置にある三陸海岸は、リアス式海岸という津波を受けるのに最も適した地形をしていて、本質的に津波の最大災害地としての条件を十分すぎるほど備えているといっていい。津波は今後も三陸沿岸を襲い、その都度災害被害をあたえるにちがいない。」
吉村昭はむすびで、三陸海岸の人々が地震に対する知識を持ち、備えをするようになったことで、
明治29年 死者数26360名
昭和 8年 死者数 2995名
昭和35年 死者数 105名
と死者数が激減してきたことを高く評価していた。昭和43年の十勝沖地震の津波では人的被害がでなかった。しかし、いつか明治三陸のような10メートルを超える津波が来れば防潮堤を越すだろうとも、40年前に書いていた。悲しいことに作家の推測が的中してしまった。
本書では、何度も何度も大被害にあいながら復興再生を繰り返してきた三陸海岸の地域コミュニティの力強い復活の実績も示されている。津波被害を受けるのは史上22回目、でも絶えることなく三陸海岸は蘇ってきた。また復活してほしいと願います。
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