宦官―中国四千年を操った異形の集団

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・宦官―中国四千年を操った異形の集団
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中国人研究者による宦官の研究。

中国史において宦官は、しばしば皇帝を惑わし政治を混乱に陥らせる元凶として登場する。歴史家の司馬遷、航海王の鄭和、紙を発明した蔡倫など良い意味で活躍したものは稀である。性器を切除された男の奴隷である異形の存在である宦官の実態に迫る。

異民族の捕虜や重罪犯が無理やり去勢されて宦官になるケースが最も多かったらしい。その処罰は宮刑と呼ばれ、打ち首に次ぐ重罪に与えられる屈辱的な刑であった。不潔な処理によって死ぬ者多数であったが、手術を生き延びた者は、体力は女性を上回り、かつ、女と姦通する心配のない、都合のいい労働力となった。恐ろしい慣習だが、商王朝の甲骨文に既に記載が見つかっているくらい古くに起源があるそうだ。

本来は奴隷であっても、男子禁制の宮廷内に皇帝と一緒に住む宦官の中には、皇帝に寵愛されて特権を与えられる者もいた。全体の一割に満たない高級宦官となれば、権勢は大臣に匹敵した。そのため、一般人にも進んで去勢して、宮廷に入ってくる「自営」も現れたという。

著者によると多くの宦官は、わかりやすくいえば根性悪であったと断言されている。去勢のトラウマ、抑圧された性衝動、皇帝に生殺与奪の権利を握られた不安定な立場、家庭や子孫と無縁の寂しさなどが重なって、自己卑下、怨恨、猜疑心、貪欲という性格が宦官の基本をなしていた。

著者は中国史に登場する宦官を皇帝との関係で4つの型に分類している。

宮廷内の雑務処理にたずさわる奴僕型
信用できない官僚を監視する手先型
朝廷政務の権力を手にした参政型
皇帝を殺し、取って代わる元凶型

どのようにその役割が推移していったかのケース研究がある。

歴史的には何度も最高権力を握った元凶型宦官が現れている。漢王朝では宦官が政権を握った。宦官の横暴が最もひどかった時代のひとつ、唐代晩期には、十人の皇帝のうち8人は宦官によって擁立され、2人は宦官に殺されている。そして宦官の数が十万人を数えた明代では、司法権と秘密警察をつくって横暴を極めた。

宦官は子孫を残さないため、一代限りであるが、宦官になるものが後を絶たなかったために、中国四〇〇〇年の間続いてきた。この本には過酷な運命を背負わされた宦官の生々しい実態と歴史的エピソードが多数取り上げられている。歴史の研究書だが、怖気をふるう記述も多い。こんな残酷で奇妙な制度が清朝滅亡まで続いていたというのが驚きだ。

・科挙
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1029.html
科挙と宦官は中国文化の基本です?

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このページは、daiyaが2011年1月23日 23:32に書いたブログ記事です。

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