望みは何と訊かれたら
大傑作。70年代を舞台にした連合赤軍系恋愛小説。
学生運動華やかなりし70年代に、仙台の高校を卒業した沙織は、上京して一人暮らしをしながら大学に通う。友人に誘われて参加した「革命インター解放戦線」の集会で、沙織は、カリスマ的リーダーの大場修造にどうしようもなく惹かれてしまう。大場の思想によって、彼等は爆弾テロによる革命を指向する過激派へと少しずつ変貌していく。そして連合赤軍と同じように、山岳基地で陰惨な「総括」リンチ殺人によって仲間を殺す。
時代背景のせいでもあるが、議論好きのインテリ学生たちが、しだいに狂気の殺人者集団となっていくプロセスが、連続的で自然であり、生々しくリアルで怖い。前半の政治と革命の季節を描いた部分だけでも相当に秀逸な作品といえるのだが、作品の真の主題は中盤以降の愛の季節だ。
恐怖に駆られてアジトを逃げだした沙織は身も心もボロボロになって生き倒れになる。生死をさまよう彼女を助けたのは、気の優しい年下の学生秋津吾郎だった。食事も排泄も性もすべてを男に委ねて部屋にひきこもる甘美な飼育の季節。
男女平等の革命の闘士だった沙織が、男に愛玩動物のように庇護される存在に堕ちていく。男のスープを運ぶスプーンを求めて口を開け、生理用品を買ってきてもらい、愛を交わした後は赤ん坊がおむつをかえてもらう姿勢で始末してもらう。
部屋に飾られた青い蝶の標本のように、時間が止まった部屋で過ごした半年間。それから三十数年が経過し、アクティブシニアとして暮らす50代の沙織は、心の底では今も、隠れ家での淫靡で濃密な日々をどうしても忘れることができない。偶然に秋津吾郎と再会するところから、この小説は始まっている。
70年代のむきだしの生と性のエネルギーが、草食時代の21世紀にはまぶしい。それに現代には、二人で半年もひきこもる愛の部屋がないのだ。実家の余っている不動産なんてレアだし、携帯とネットワークのせいで、完全に外界と遮断される環境は得難い。二人で愛を純粋培養することが不可能な不幸な時代かもしれない。
タイトル『望みは何と訊かれたら』は、ナチスの暴力に飼いならされた女の愛を描いた映画『愛の嵐』(1973年 イタリア)でマレーネ・ディートリッヒが歌う主題歌に由来する。実は私はこの小説を数ページ読んだところで、この映画を連想した。解説にやはりこの映画の話が答え合わせの如くでてきてうれしくなった。映画のファンにもおすすめ。
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