科学は誰のものか―社会の側から問い直す
科学技術政策は誰が決定すべきなのか。
科学=真理を知る
技術=モノをつくる
という異なる要素を合わせたのが科学技術という言葉だ。「科学」の価値中立性は担保されるにしても、「技術」は経済的な利益構造と抱き合わせになる。また科学技術が解決すべき問題には「科学なしでは解けないが、科学だけでは解けない問題」が増えてきたという。社会技術としての科学技術という面が強くなってきたのだ。
そして社会の複雑化、多様化、グローバル化によって、科学技術の政策は、科学者だけで決定すべきものではなくなってきた。この本は、市民、科学者、問題の当事者らがコミュニケーションとって合意をつくる「公共ガバナンス」の必要性を説く。
科学者が一般人に教えるという「知識のある者から、ない者へ」式の、読者の無知を前提にした「欠如モデル」の科学コミュニケーションはもはや時代遅れになるという。科学者、政府、産業界、一般市民の、双方向的な対話や、政策決定への参加を重視する「公共的関与」というスタイルが求められている。
従来の狭い視野の専門家の限界を超える可能性も示されている。映画『ロレンツォのオイル』では副腎皮質ジストロフィーという難病の息子のために自力で治療法を発見した父親が登場するが、現実に「専門家顔負けの素人の専門性」も無視できないものだという例が挙げられている。切実な当事者ならではの深い経験や知識、洞察、ローカルナレッジを活かす方法も有効なのだ。
コミュニティ・ベイスド・リサーチという方法論。そこで必要なコミュニケーションのスタイル。
1 社会的地位を度外視するような社交様式
2 それまで問題なく通用していた領域を問題化すること
3 万人がその討論に参加しうること
現代の科学技術は「不確実性」と「社会の利害関係・価値観との絡み合い」という宿命を持つ。スーパーコンピューターの研究費の仕分けで「2番じゃだめなんですか?」といった議員に対して、ノーベル科学者が反論した事件があったが、異論を唱え反論を重ねること自体はとても意味のあることなのだ。
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