大魔神の精神史
怪獣ブームの直前、ガメラ第1作が作られた1966年に『大魔神』『大魔神怒る』『大魔神逆襲』の3作は連続で公開された。興行的にはマイナーな作品のはずなのに、怒る巨像のイメージは観客に強烈な印象を与えて、21世紀になっても大魔神は、知る人ぞ知る的な存在感を示す。大魔神が日本人の記憶に深く刻み込まれたのには理由があるというのが、この研究書である。
著者はこの三部作は「日本」博物館だという。
まず大魔神は国宝の埴輪「桂甲の武人」や仏像「伐折羅大将」が主なモデルである。
古代(埴輪、古墳、仏像)×中世(戦国時代の砦、刀剣や甲冑)×現代(特撮映画)
という日本文化のイメージの集積として、この映画がつくられていることを指摘する。民話的な世界観の中に、ダイダラ坊、平家の落人、スサノオの神話、貴人流離譚など、多くの日本の文化が埋め込まれている。この著者は、モスラの精神史と同じように、特撮映画ひとつでここまで日本文化を広く語ってしまうかと、思い入れに圧倒される。
その熱に感化されて私も改めて見直した。
この映画が名作になった理由ははっきりしているように思える。主役の大魔神がなかなか出てこないことだ。埴輪の石像としての大魔神は、冒頭から画面に映っているのだが、乙女の涙をうけて、開眼して動き出すまでに、物語の4分の3くらい(測っていない、イメージ値)まで進んでしまう。必然的に物語の大部分は人間だけの時代劇ドラマになる。
村人たちが悪人に散々いじめられた挙句に、それなりにシリアスな犠牲を出したところで、絶対的な力が登場して悪を制圧してこらしめる。この構成は45分で印籠を見せる水戸黄門だよなあと思う。なかなか出てこないがポイントなのだ。それなりの制作予算で前半の民話的世界が丁寧に描かれていることも、好印象。
日本人の精神性を重層的に織り込んだ映画だったから、半世紀過ぎても記憶されているということがよくわかる本だ。90年代のはじめ、筒井康隆の原作で日米合作制作費用30億円の第4作が予定され、脚本までは作られていたという。現代のSFXでよみがえらせたら、ブーム再燃もありそうだなあ。
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