切羽へ
先日、ある会議でゲーム「ラブプラス」に抱くバーチャルな恋愛感情は、本質的にプラトニック・ラブであり、本物の感情と何も変わらないと熱く論じたところ、プラトニック・ラブという言葉をわかってもらえなかった。それくらいプラトニック・ラブの概念は死に瀕している。この作品はそんな時代に真正面からプラトニックの価値を追究している。
のどかな離島の小学校で養護教諭をしている主人公セイは、画家の夫と平和で幸福な日々を暮らしていた。ある日、セイは島に新しく赴任してきた新任教員の男と出会う。男にどうしようもなく惹かれてしまう自分にきがつく。何の不満もない夫との愛情生活と、秘めた男への感情が並行しながら、しだいに緊張感を高めていく様子が描かれる。
タイトルの切羽(きりは)とは、トンネル工事の最先端部のこと。両側から掘っていって二つの切羽がつながるとトンネルが開通する。切羽がつながるまで、地の向こう側の、相手の存在を思いながら掘り進むわけである。掘る人は相手の存在と向こうもこちらに向かっていることを闇雲に信じているのである。
恋愛というのは2人でするものとは限らない。男女関係の開通にいたる前は、切羽の先に相手がいることを信じて、1人で思いを高ぶらせているだけだ。心にうかぶ相手の姿はどこまでもバーチャルである。で、それは高嶺 愛花や小早川 凛子や姉ヶ崎 寧々と何が違うのか?という冒頭のラブプラスの話になる。ふたりで燃える前にはひとりで萌える段階があるのだ、必要があるのだ。
この切羽へはプラトニック・ラブでありながら、やたらと官能的で、なまめかしい小説になっている。田舎生活でこれといった事件は何も起きないのにスリリング。文章は読みやすくて美しい。この作家の力量は凄いなあとしみじみ実力を納得させる第139回直木賞受賞作。
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