人間の建設
小林秀雄と日本数学史上最大の数学者といわれる岡潔の対談集。
薄い本だが内容はものすごく濃い。
対話から、どれだけ深くを読み取れるか、読者の力が試される高度に知的な雑談。
最初にあいさつの意味もあるのだろうが、岡は小林の批評文に対して、詩人の作品のようだとこんなふうに褒めている。
「岡 勘というから、どうでもよいと思うのです。勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを表現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観のなかで書いていくうちに、内容が流れる。それだけが文章であるはずなんです。」
名文の本質をさらっとこの数学者は言い当てている気がする。さらに理系数学者らしからぬ発言を連発して、小林の文系の領域の知との化学反応を仕掛けていく。
「岡 数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学だとはいえないということがわかったのです。じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。」
勘と感情、人間の知力の最も本質的な部分がこれなのだという話に強く共感。
終始、岡の方が変化球を投げることで議論をリードしているようだが、小林の安定した受け止めもあって、学問、芸術、酒、数学、文学、哲学と主題はめまぐるしく変化するが、緊張感を失わない知のキャッチボールが続く。
俳句について。
「小林 実物を知っていて読んだということでおもしろいのが俳句だね。そうすると、芭蕉という人を、もしも知っていたら、どんなにおもしろいかと思うのだ。あの弟子たちはさぞよくわかったでしょうな。いまは芭蕉の俳句だけ残っているので、これが名句だとかなんだとかみんな言っていますがね。しかし名句というものは、そこのところに芭蕉に附き合った人だけにわかっている何か微妙なものがあるのじゃないかと私は思うのです。」
小林の批評に対する考え方がここに見えてくる。
わかりやすく、わかった部分を取り出して紹介してみたが、実は読んでいて、含意がありそうだが、自分の教養不足で汲みとれていなさそうな発言がたくさんあった。一回読んだだけでは2人の会話の中の意味をまだ3分の1くらいしか読み取れていないような気がする。10年したら、もういちどじっくり読み返してみたい本だ。
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