インターネットはいかに知の秩序を変えるか? - デジタルの無秩序がもつ力
・インターネットはいかに知の秩序を変えるか? - デジタルの無秩序がもつ力
素晴らしい内容。ネットの知の構造化を考えたい人に、おすすめ。
整理の第一段階 物質それ自体の整理
整理の第二段階 物理的な対象(カード式索引等)で整理する
整理の第三段階 デジタルでの整理
という段階が定義されていて、その第三段階の原則は、
・フィルターは入り口ではなく出口で
・葉っぱは出来るだけたくさんの枝にぶら下げよ
・すべてはメタデータであり、すべてはラベルをつけられる
・管理をあきらめよ
というもの。
伝統的な図書館分類による秩序だった整理ではなくて、YoutubeやFlickrのタグ整理あるいはWikipediaのようなフォークソノミー的アプローチの方が、ネット時代には有効であるという。
コミュニティによる知識創造と構造化がテーマだ。従来型のナレッジマネジメントシステム(KMシステム)についてはこう書いている。
「KMシステムは、従業員にビジネスに関して、知っていることをすべて明示的にすることを求めて失敗した。あたかも誰もが作家か教師であるかのように扱ったからだ。あるいは誰もがボタンを押すことでレポートを作成出来るデータベースであるかのように扱ったからだ。KMシステムは静かに機能するときにこそ、最もうまくいく。それは、仕事の中で暗黙のうちに出来上がってきた知識を集める時であり、例えば電子メールを情報源として再編する時や、社内のやりとりで誰がもっとも頻繁に回答しているかで専門家を推定する時や、社員がお互いにやり取りするリンクからライブラリーを作ったりする時である。」
形式知という氷山の一角ではなくて、その下に沈んでいる巨大な暗黙知という意味のインフラストラクチャーを、いかに掘り出すか、が重要だと著者は繰り返し述べている。有用な無秩序こそ意味の源泉なのだ。
「というのも、会話は相違点があるからこそ盛り上がるからだ。従来、違いの存在は知識に到達していないことのサインであった。知識は一つだけであり、なぜならば世界のあり方は一つしかなく、別のあり方はなかったからだ。しかし、これからは常に多数の会話があり、かくして多数の見方があるだろう。我々は決して他人との会話をやめることはなく、単一の結合された真の逃れられない最終的な知識によって黙らされることおはないであろう。」
相違から会話が生まれ、無限に知識を生みだしていく。ネット上のコミュニケーションでは、多様な視点と動機の人間が短いメッセージで対話をするから、ボタンの掛け違いみたいなことも多いが、そうした齟齬が思いもよらない情報を創造しさえする。そうした雑多な会話の集まる知の交差点に立つ者こそニュータイプの知識人ということらしい。
「ワールドワイド・セマンティック・ウェブは野心的すぎたために、デューイや他の大規模分類学を悩ませたものと同じ問題の餌食になっている。セマンティック・ウェブでも、不完全で、スマッシーで、領域ごとの努力をゆるやかにまとめたものは、より実現性が高いのみならず、より好ましくもある。継ぎ目のない全体で曖昧さを排除するものは、暗黙の意味が持つ深みをも排除してしまう。そうであるとすると、ワールドワイドウェブのごちゃごちゃをきれいにしようとしたティム卿の試みの成功の鍵は、皮肉にも、それをもっとごちゃごちゃにすることかもしれない。」
単一の何かであることをみつけようとするのではなく、「のようなもの」「の種類のもの」「七十三%のもの」を知ること=複雑さの中で泳ぐこと、意味を最終的に確定させないでいること、が無秩序から意味を取りだす秘訣になる。ある種のいい加減さ、アバウトさ、知的な寛容さ、が大事になるということのようだが、そういうのは私は得意だな、しめしめ(笑)。
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