強い者は生き残れない 環境から考える新しい進化論
強い者は最後まで生き残れない。他人と共生、協力できる者こそ生き残る。
近代ゲーム理論の大きな2つの成果であるナッシュ均衡と、ジョン・メイナード・スミスらの進化的安定戦略(ESS)。従来理論によれば、人間の利他的な協力行動は、いくつかの場面で生存に少し有利に働くもの、というレベルで理解されてきた。大部分は、利己的に自己の取り分の最大化を図る個体のゲームとして説明されてきた。
しかし、人類文明は、大々的な協力行動の成果であるように思われる。協力は社会の規範ともなっている。現代のゲーム理論には何らかの欠陥があるのではないか?と進化生物学者で「素数ゼミの謎」の著者はにらんだ。
「ゲーム理論の最大の落とし穴は、何よりもその目的がプレイヤーの最大利益を求めることにあるという点に尽きる。人間が社会を作ったそもそもの動機は「存続のための協力」だったが、そんなことはすっかり忘れ去られてしまったかのようだ。」
余裕のある時は利己的ゲームもよいが、結局は環境そのものや所属集団自体が亡びてしまったら元も子もない。厳しい環境変化のもとで生きる生物は、互いの協力によって、環境からの独立を果たし、共生関係によって生き延びてきたのだという。
血縁選択と包括適応度、履歴効果、遺伝子の進化と表現系の進化、予測と対応、リスクに対する戦略、環境改変などさまざまな生物の進化戦略が紹介されている。生物進化にとっては共生関係こそ基本であり、最適が最善ではない、最強が生き残るわけではないというロジックが繰り返し展開されていく。そして最後は人間社会の話になる。
「人間社会は環境の不確定性に備えるための「協力」から始まった。それが民主主義のスタートラインのはずだった。ところが、その民主主義との両輪であるはずの自由主義が高度に発達するにつれて、様相が変わってきた。「個人の利益を最大限に追求する」ために、経済活動においてはゲーム理論の「ナッシュ解」が成立してしまっているのである。」
確かに、私たちは自然環境から独立して生きている。社会規範こそ人間にとってのゲームのルールであり、もはやむきだしの強さ=現実の強さではない。思えば弱肉強食のような戦国時代にだって、天皇を担いだり、忠義を大切にしたり、敵に塩を送ったりと、不合理なことをやってきたのが人間の歴史だった。私たちはゲームをやっているのではなくて、個や集団の視点から見えるドラマを生きているのが本当なのではないかというのが、この本を読んでの私の感想。
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