教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ
日本人の大卒のほとんどは企業へ進むはずなのに、大学では職業のことはほとんど教えない。就職では地頭がよくて<適応>する素直な若者が好まれた。企業は採用に当たっては個人の能力ではなくて「潜在能力」を基準としてきた。高度経済成長期には企業が職業教育を丸抱えしたので、それでもなんとかなっていた。しかし「日本的雇用」が後退する中で、職業能力を形成することができなかった学生たちが非正規社員、不安定な雇用、低賃金にあえぐことになった。だが彼らは不当な扱いに抗議する<抵抗>の術も教わっていなかった。
日本は高等教育の職業コースに進む人が少ないというデータが紹介されている。日本の後期中等教育(主に高校をさす)では、普通教育コース在学者比率が75%に達しているが、OECD加盟国平均では同比率は50%程度。他国ではほぼ半数の生徒が職業に関連するコースを学んでいるのに対して日本では四分の一にとどまっている。
こうした職業専門領域には「ビジネス・法律」「技術・建築」「農業」「サービス」「医療・福祉」「情報」「人文・芸術」などがあるが、ほぼすべての領域で日本は在学者が少ない。多くの学生は普通科に進み、進学のための選抜基準としての科目を学習する。どうしてこんなことを勉強しなければいけないのかと思う」比率が高校一年時で61%に及ぶそうである。(本書紹介のベネッセ教育研究開発センター調査)。
そして高校や大学を卒業した途端に「勤労観や職業観」を問われる。もっていなければおかしいとされる。だから一斉に自分探しとやりたいこと探しに追われて「自己実現アノミー」に陥る。
大学と企業がうまくつながっていないのは明らかだ。日本的雇用の終焉と不況によって、その齟齬が明らかになり、本書の言う「教育の職業的意義」をもう再考する必要がでてきたというのは本当だと思う。著者は重要なのは「柔軟な専門性」を身につけることだと結論している。
柔軟な専門性とは「弾性と開放性をもつ「暫定的な」職業的専門性を、「とりあえず」身につけること、そこを言わば基地として、隣接領域やより広範な領野への拡張を探索してゆくこと」。高校福祉科を出て福祉以外でその能力が活かせた例などが挙げられている。
プログラミングでも会計でも旋盤工作でも、専門技能をひとつ持つことから広がるというのは確かにいいアイデアな気がする。プロ意識も芽生える。企業のインターンシップや社会人の講義などがもっとあるべきだったと私も自分の受けた教育を振り返って感じている。
もちろん高等教育が職業教育に終始して就職予備校化するのは本末転倒である。この本がいうように、「金融の知識を与えると同時にマネーゲームがもたらす世界的な機器や不安定化をも伝え、いかにしてその危険を抑制しうるかについて考える。食品の加工・調理についての実践的スキルを教えるだけでなく、農産物や水産物と密接に関わる地球規模の環境問題や南北格差についても伝え、未来にわたる人類の持続可能性に関して考える」というあり方でなければならないわけではあるが。
大学では「教育の職業的意義」は常に議論が分かれる話題だ。しかし、この本の国際比較や実態研究を見る限りでは、もっともっと重視すべき話のように思える。
現代における教育の意義を考えるのにとても良い本。
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