終わりと始まり

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・終わりと始まり
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1996年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集。ノーベル文学賞記念講演「この驚くべき世界で」が収録されている。日本では知名度が低いが、東欧やロシアでは詩という文学ジャンルが社会的にも力を持っているそうである。

外国の詩をどこまで翻訳で理解できるのか?と思う部分もあるのだが、シンボルスカの詩はどれも普遍的なテーマを、日常の言葉を使って表現するスタイルなので、比較的理解しやすいように思えた。

たとえば詩についてこんな風に明解なことばで詩っている。

『詩の好きな人もいる』

「 そういう人もいる
  つまり、みんなではない
  みんなの中の大多数ではなく、むしろ少数派
  むりやりそれを押しつける学校や
  それを書くご当人は勘定に入れなければ
  そういう人はたぶん、千人に二人くらい 
  <中略>  」

記念講演のなかでシンボルスカは「インスピレーションの訪れを感じられるある種の人たち」について語っている。それは「意識的に自分の仕事を選びとり、愛と想像力をもってその仕事を遂行する人」のこと。彼らにとって、不断の驚きや発見、インスピレーションは「私は知らない」から生まれてくるのだと話す。

上述の詩は次のように終わる。

「 詩が好きといっても───
  詩とはいったい何だろう
  その問いに対して出されてきた
  答えはもう一つは二つではない
  でもわたしは分からないし、分からないということにつかまっている
  分からないということが命綱であるかのように」

不断の「分からない」「私は知らない」こそ、インスピレーションの源であり、同時に世界を良くする方法論なのだという。インスピレーションを迎えるには、固定観念を捨てて、一度頭をからっぽにすること、素直な受け入れ態勢をもつことが重要ということだ。

「そして、どんな知識も、自分のなかから新たな疑問を生みださなければ、すぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまいます。最近の、そして現代の歴史を見ればよくわかるように、極端な場合にはそういった知識は社会にとって致命的に危険なものになり得るのです。」

「すべて分かっている」帝国主義や社会主義に引き裂かれた苦難の歴史もつポーランドという国の詩人らしく、「正義」や「社会」や「戦争」が大義名分を背負って、個人や社会が思考停止になることを批判する。そして詩の持つ力、インスピレーションの力を、よりとい選択の可能性として対置させている。

「この果てしない劇場について、わたしたちは何を言えるでしょうか。この劇場への入場券をわたしたちは確かに持っているのですが、その有効期間は滑稽なほど短く、二つの厳然たる日付に挟まれています。しかし、この世界についてさらにどんなことを考えようとも、一つ言えるのはこの世界が驚くべきものだということです。」

平凡な世界を驚くべきものとして見直して、その驚きを日常生活の言葉で表現するのが、シンボルスカという詩人のスタイルらしい。

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このページは、daiyaが2010年3月23日 23:59に書いたブログ記事です。

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