みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。

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・みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。
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子供や初心者に美術史の知識は無用、まず作品を自由に鑑賞させて、自分なりの感じ方を引き出すことが、美術への深い理解につながるという鑑賞教育の提唱者アメリア・アレナスの本。見ることの本質や芸術の持つ力について語った第一部と、子供の鑑賞教育の方法論を中心に語った第二部からなる。

「大人になると、なぜかひとは美術作品をみて自分がどう感じるかはどうでもよいことで、美術に目を向けるのは、「見方を学んでから」にしたほうがよいと考えるようになるらしい。」

確かに、私も美術館に行くと作品それ自体よりも展示コーナーのタイトルや作品説明にまず目が行ってしまうことが多い。そこには大抵、鑑賞のポイントも書かれていて、実際に作品を見るのは、純粋に鑑賞するためではなくて、データを確認する行為になってしまう。鑑賞後の感想も、説明にあったポイントをなぞったものになりがちだ。

「自由に(しかし深く)、作品をゆっくり時間をかけて味わってからでないと、そうした知識は役に立たない」と著者は説く。伝統的な美術館は、専門家が高いところから知識を与える姿勢で展示を構成しているから、子どもたちは、素直に自分の感じ方を味わうことができない。本来あるべき美術教育は、みる かんがえる はなす。感じたことを思考と言葉で表現する力を育てることにあるというのが著者の持論だ。

「何人かの子どもたちにある作品をみせてから、たとえば「この絵のなかでは何が起こっているの?」というようなかんたんな質問をすれば、かれらはそのとき心に浮かんだことをそのまま口にするだろう。しかしそうした思いつきや、独りよがりな考えも、「絵のなかの何をみて、そう思ったの?」というような問いかけをすると、子どもたちは最初の答を裏づける手がかりを探そうとして、作品をもう一度見直し、その過程で目の前に展開する「新しい」映像のなかの、さまざまな要素の重要性を秤にかける作業を迫られる。」

感覚を言語化するというのは極めて難しい作業だ。作品を前にして行えば、何度も見直しながら、それができる。作品説明の文字情報は、みる、かんがえる、はなすの場では不要である。優れた美術評論家というのも、独特な見方と言葉で美術作品の位置づけを話せる人なわけだから、鑑賞教育は評論家育成の方法論でもあるように思った。

「ひとつだけ確かなのは、美術がもたらすよろこび、そしてときには荒々しいほどの衝撃は、その大半が私たち自身のつくりだしたもの、私たちが映像に託した実在感のなせる業だということである。」

作品の感動は自らの内側からやってくる。外側からではない。当たり前なのだけれども忘れがちなことだ。私はついつい展示鑑賞後に文字の書かれたパンフレットをすぐ買ってしまうのだが、本当は自分の感じ方をすべて言語化し終わってから読むべきなのだなあ。

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このページは、daiyaが2010年3月22日 23:59に書いたブログ記事です。

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