方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム
孤高の天才科学哲学者ファイヤアーベントの代表作。知のアナーキズム。ゲーデルの不完全性定理やドーキンスの生命機械論並みに、人生観を変えるくらいのインパクトがある本。
「科学は本質的にアナーキスト的な営為である。すなわち理論的アナーキズムは、これに代わる法と秩序による諸方策よりも人間主義的であり、また一層確実に進歩を助長する。」よって、進歩を妨げない唯一の原理は、anything goes(なんでもかまわない)であるというのがこの本の理論である。
ファイヤアーベントは、科学は一般にどこまでも合理的と考えられているが、実は神話に近いものであり、人類の数多くの思考形式のひとつに過ぎず、特別なもの、最良なものというわけではないと論ずる。なぜなら科学の進歩は、古い合理性の外側からやってきた非合理な発見によって牽引されてきたからである。
「繰り返して言うが、この束縛解放の実践は、単に科学史上の事実であるというだけではない。それは理にかなっていると同時に、知識の発展のために絶対的に必要とされるものである。もっと詳しく言うと、次のことを示すことができる。すなわち、科学にとってどんなに「基本的」であれ、ないしは「必要な」ものであれ、ある規則があったとすると、単にその規則を無視することのみならず、その反対のものを採用することが賢明であるような、そうした状況が必ずあるのである。」
あらゆる方法論が普遍の地位を与えられてはならず、狂気や遊戯、トンデモ科学やきまぐれのようなハチャメチャさにこそ、方法論が真に進化する可能性が秘められているという。秩序ではなく無秩序こそ重要ということになる。
「これらの「逸脱」、これらの「誤謬」は進歩の必要条件なのである。それらはわれわれが住んでいる複雑で困難な世界の中で知識が生きのびることを可能にし、われわれが自由で幸せな行為主体であることを可能にする。「混沌」がなければ、知識はない。理性の度重なる解任がなければ、進歩はない。今日科学の他ならぬその基礎を形成している観念は、ひとえに、先入見、うぬぼれ、情熱のようなものが存在したために、現存しているのである。」
発見の文脈と正当化の文脈の区別、観察語と理論語との区別、共約不可能性といった観点から、完全に合理的で普遍的な方法論よりも、アナーキーになんでもありの方法論の方が、知識の発展において価値があるということを証明していく。結構な大著だが、全体が理性という権威に対する反抗の意思に満ちており、とても血の騒ぐ熱い本である。
遊びや例外はいつだってなきゃいけないのである、それこそ本質なのである、四角定規でなんでも測れると思ったら大間違いなのである。「あらゆる方法論は限界をもち、生き残る唯一の「規則」は「なんでもかまわない(だから好きなようにしろ)なのである。」だそうだ。秩序のない現代にドロップキック万歳。
・理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 -
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/10/post-1099.html
・パラダイムとは何か クーンの科学史革命
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/02/post-1150.html
・知識の社会史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1069.html
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