エクスタシーの湖
スティーブ・エリクソンの前衛世界文学の和訳最新刊。これまた大変な奇書である。
筋がよく分からなかったのに、強烈な印象を残して、いつまでも引きずる映画っていうのがある。たとえばデヴィッド・リンチ監督の『インラインドエンパイア』などかがまさにそうだ。現実と劇中で撮影中の映画の筋が錯綜し、何が現実なのかわからなくなっていく。精神錯乱状態で見る悪夢のような内容なのだが、映像の持つ強いイメージ喚起力は、トラウマの如く記憶に刻まれる。エクスタシーの湖もこれに似ていて、読者の脳裏にいつまでもこびりつくタイプのやっかいなビジョン小説だ。
ハリウッドの交差点にできた小さな水たまりが、次第に成長してロサンゼルス全域をのみこんでいく。謎の湖にゴンドラから飛び込んだ女は、湖底を突き抜けて向こう側の世界の湖面へ浮上する。湖に浮かぶ廃墟のような建物で、女はSMの女王として君臨する。前の世界にゴンドラに残してきた幼い息子のことを思いながら、名前と役割を転々とする数奇な人生を生きる。話の筋を追えなくなるほど話は混乱と錯綜を極めていく。
カオスな内容だけでなく、テキスト表現の前衛アプローチも見事に翻訳・再現されている。まず一目見てかなりおかしな本なのだ。水中に落ちていく女の物語は、一行のテキストとしてひたすらまっすぐ、何百ページもまたいで突き抜けていく。女の水中への落下と並行して、フォントとレイアウトを頻繁に変化させながら、錯綜した物語は進んでいく。どう読むべきかまず悩むところからとりかかる。表現の奇抜さと挑戦読書度はともにジェイムズ・ジョイス級。ちょっと気力体力いるのだが、とてつもない読書体験を保証できる。
私が読んだエリクソン本では「黒い時計の旅」や「ルビコンビーチ」の方がとっつきやすいが、ビジョンの強烈さははるかに「エクスタシーの湖」が強いと思った。最初にこれでもいいのかも。
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