拳闘士の休息
死と隣り合わせのベトナム戦争の兵士、高額報酬と引き換えに危険な深海に潜る潜水士、ガンと戦う初老の女性、癲癇と記憶喪失でインドを放浪する男など、人生の苦難と戦う人たちの姿を描いた短編集。トム・ジョーンズ。表題作は93年にO・ヘンリー賞を受賞。日本では96年に新潮社から単行本で出版されていたものが、2009年9月に河出書房で文庫化。
虚しく終わる闘いだとわかっていながら、運命に抗いのたうちまわっていると、ふと見えてくる至高の境地みたいなもの。アドレナリンが沸騰して感覚が限界を超越する"紫の領域"の戦士。長距離ランナーが感じるという苦しさの末の至福でハイな状態みたいなものを描く作品が多い。暗い話なのにどこかに明るさを残す。
著者の経歴は相当にユニーク。アマチュアボクサーとして150以上の試合に出場し、海兵隊に入隊するが、ボクシングで負った傷がもとで側頭葉てんかんを患い除隊、大学の創作科に学ぶが小説家としては売れず、用務員の仕事をして暮らす。糖尿病、アル中、薬物依存に10年間苦しんだ。あるとき、2万5千通に3編しか採用されないといわれる『ニューヨーカー』誌に掲載が決まって、突如売れ始めた。この本に収録された10編には10人の、性別も年齢も職業も異なる、いろいろな境遇の主人公が登場するが、おそらくすべてに著者の経験が反映されている。だから濃い。
ショーペンハウアーの言葉が何度も引用される。一般にペシミストで皮肉屋に分類されがちなショーペンハウアーだが、この作品の文脈では、その言葉が希望であり真理のように響く。
「若き日に、来るべき未来に思いを馳せるとき、我々はさながら開幕前の劇場に座り、カーテンが上がるのを胸ときめかせて待っている子供である。待ち受けている現実を知らずにいることは、我々にとっては幸いである」(ショーペンハウアー)。
・読書について
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/post-913.html
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