ヘヴン
第138回芥川賞の川上未映子が、壮絶ないじめを受ける少年と少女の心の葛藤を描いた衝撃的な作品。
「ねえ、でもね、これにはちゃんとした意味があるのよ。これを耐えたさきにはね、きっといつかこれを耐えなきゃたどりつけなかったような場所やできごとが待ってるのよ。そう思わない?」と少女は、同じようにいじめられている少年に言う。
なぜ人は誰かをいじめるのか? なぜ人をいじめてはいけないのか?
この作品は問いかける。
いじめにかかわる双方の張りつめた対話が続く。登場人物はいじめる側も、いじめられる側も雄弁に自分の立場を語る。現実にはこれだけ気持ちを整理して話せる少年少女はいないだろうが、その超現実的につきつめたやりとりが、いじめ問題の本質を白日のもと晒す。朝まで生テレビで一晩議論するより、この作品を読んだ方が、いじめとは何かがよくわかるはず。その根の深さにやりきれなくもなるのだが。
社会問題の提起という価値だけでなく、緊張感のあるドラマとしてもよく構成されている。いじめられっ子の二人が心を通わせる共感のひとときに感情移入をしていると、陰湿で過酷になる暴力が突然にそれを吹き飛ばしてしまう。読者は作中のいじめられっ子と同様に何をされるかわからぬ怖さに不安と緊張がやまないのだ。
いじめの怖さというのは、未知の恐怖が大きいと思う。相手が何を考えているのかわからない怖さであり、次に何をされるかわからない怖さである。それを逆手にとって恐怖を最大化するように、いじめっこはいじめを設計することを楽しむ。
「...君も、わたしも、なんでこんなふうに、...みんなからこんなふうにされているんだと思う?」
なんでそんなことをするのか。それが人間心理や社会の性質に自然に根ざすものなのだとすると、なかなか論理的な答えは返ってこないだろう。人間や社会はそういうものだから、いじめはあるというのが本当のところだろうか。
いじめの底知れなさをいやというほど見せつけられる衝撃作である。
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