グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学

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・グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学
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書名を見てもっと一般向けの本かな?と勘違いしたが、読んだら実際には「編集文献学」という、あまりなじみのない文学研究領域の専門書であることがわかった。著者はひたすらに、文学研究者にとって理想的な研究プラットフォームとしての電子テキストのシステムを追究している。それはただ出版された本をデジタル化しただけのグーグルブック検索とはちょっと違うぞと異論を述べる。

「つまり真に複雑で、持続的で、アクセス可能で、美しく、洗練された電子的な(再現能力を持つ)情報収蔵所を作ることが望ましいのは、編集文献学が、単なる物体として(あるいは電子としての)単語からなるテキストだけではなく、コミュニケーションの行為すべて(誰が、何をどこで、どのようなコンテキストで、誰に向かっていったのか)を発見、保存、提示しようとしているからなのだ」

編集文献学の研究者は、公表されたテキストは、著者を取り巻く社会関係や歴史的な前後の文脈や、編集や出版の技術と切り離せない関係にある、というインターテクスチュアリティの立場を取る。だから、最終版のテキストだけでは研究に不十分で、作品の全部のバリエーションや「メイキング」情報を保存し、検索できるようにせよ、と主張しているようだ。

プラトン的な伝統的テキスト観では、「正しい」読み方を知っている同質な精神を持つエリート解釈共同体が前提とされていた。だから唯一の無謬の原本の追求幻想があった。しかし多様な知が混沌と共存するインターネット時代には、テキストの前にそのような正解や権威は望めなくなっている。むしろ、ハイパーテキストの自在なリンク技術のある世界ならば、多様な読みを可能にする環境の方が生産的でさえあるだろう。匿名コミュニティによって編集された電車男みたいなテキストは、プロセス自体がテキストのようなものだ。

著者は技術者ではないから知らないようだが、CVSやSubversionのようなプログラム開発者向けバージョン管理システムは、その理想にかなり近い気がする。できる限り、あらゆるバージョンを残し、開発時の設定を保存していく。すべてのメイキング情報や著者のコンテクストを残す、という思想に近いものを感じる。

また、編集文献学アプローチの今後の最大の敵は、おそらくグーグルではなくて、テキストの書き手=著者だろうと思う。すべてが検索してたどれる時代だからこそ、ある種の書き手は、途中の版やメイキング情報を消して、最終版だけを残したいと願うのではなかろうか。執筆時のメモなんて見せたくない心理である。デジタルな資料は、紙以上に容易に消去できる。

編集文献学という極めてマニアックなテーマを哲学的に追究した専門書。読者はかなり限定されそうな本であるが、インターネット上で文学研究システムを開発したい人など読んでみるとよいかもしれない。

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このページは、daiyaが2009年11月 7日 23:59に書いたブログ記事です。

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