十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。
・十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。
遠藤周作が昭和35年に書いた原稿が、46年後に発見されてこの本(元は単行本)になった。手紙や文章の書き方をやさしく教える内容。病人への見舞いの手紙、彼女を上手くデートに誘うラブレター、告白されて断るときの心得(女性編)、お悔やみ、など、
軽い読み物なのだが、遠藤周作がいかに人と違う文章、凡庸でない文体を確立することを大切にしていたかがよくわかる。文章力を鍛えるための「ようなゲーム」を日常的にバスに乗りながら行っていたそうだ。これは誰でも簡単に取り組めるが、うまくやるのは難しいゲームだ。
「ようなゲーム」とは、眼に見えたもの、耳に聞こえたものを形容する言葉を、
(1)普通、誰にも使われている慣用句は使用せず
(2)しかもその名詞にピタリとくるような言葉を
見つけるというゲームである。
夕日のことを
「燃える火の玉のように」
というのは慣用句的で避けなければならない。代わりに、
「大きな熟れた杏のように」
「赤くうるんだ硝子球のように」
などという有名作家達の名文が挙げられる。
文章の極意(文脈的にはラブレターの極意なのだが)は抑制法(当たり前のことをぜんぶ書くな)と転移法(ナマではなく別の言葉で)だと看破する。実体でなく影の方を描くと、効果的に情景が立ち上がるという話、わかりやすいが実践は結構難しい話だ。
「つまり夏の暑さを描写するのに「太陽がギラギラ」とか「樹木はまぶしく」とかいう表現は誰もが使う手アカによごれた形容です。だからそれを読む人も、こういう形容には食傷しています。むしろ、そういう場合は太陽の光には触れず、白い路に鮮やかにおちた家影、暑さの中で微動だにしない真黒な影を書いた方がはるかに効果的なのです。」
慣用句的なもの、形式的なものをいかに脱して、個性的で心のこもった文章に仕上げるか。大作家の鍛錬法や心構えが垣間見える読み物。
ところで本書、「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。」というタイトルだが、文庫本だと本文は11ページ目から始まる。なんかちょっと可笑しい。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.ringolab.com/mt/mt-tb.cgi/2642