音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉
聴き方の本というよりは、音楽を語る言葉を磨くための本である。人は音楽を自由に聴いているようでいて、過去の経験や知識に大きな影響を受けている。だから作品のポテンシャルを深く味わうには、聴き方の癖=「型」を自覚して、感動を言語化していくことが大切だという。「型」が持つ共同体形成の力
人はなぜある音楽には感動し、ある音楽には無反応なのか。音楽の趣味とは何なのか。人間は理解可能なものしか理解できないのと同じで、感動にも、あらかじめ反応の下地が必要だというのだ。
「自分の感性の受信機の中のあらかじめセットされていない周波数に対して、人はほとんど反応出来ない。相性がぴったりの音楽との出会いとは、実はこれまで知らなかった自分との出会いかもしれないのだ。」
クラシック、ロック、ジャズなど音楽ジャンル特有の「型」というものがある。こういう風にきたらこうだよね、というパターンは、ある程度言語化され、社会的に共有される。型を踏襲したり、新鮮味を与えるために敢えて離れたりする名演には聴衆の喝采が送られる。型を感じるための受信機がセットされていないと、音楽はそもそも味わえないのだ。小林秀雄の「ひたすら聴けばわかる」という見方は嘘である。
聴き手だけでなく評論家たちも型を仕事に使う。型との関係性を言語で説明するのが批評行為ということだろう。プロの演奏者たちも型を言葉にしている。身体・運動感覚の言語化には特徴的な現象がみられるという話が興味深い。
プロの音楽家たちがリハーサルで使う特長的な言葉づかいを著者は抜き出した。わざ言語と呼ばれる類の「砕けていて端的であり、感覚的で生々しい」フレーズである。
「40度くらいの熱で、ヴィブラートを思い切りかけて」
「いきなり握手するのではなく、まず相手の産毛に触れてから肌に到達する感じで」
「おしゃべりな婆さんたちが口論している調子で」
「ここではもっと喜びを爆発させて、ただし狩人ではなく猟犬の歓喜を」
身体性の語彙を芸術家たちは共通語として活用するわけだが、これは芸術だけでなく職人技の仕事全般にも通じる話だろう。暗黙知を共有するための符号なのだろう。それでわかる人はわかるし、わからぬ人は永遠にわからない。
聴き型を知っているかどうかで音楽の演奏の仕方、批評の仕方、味わい方のすべてが変わってくるということがよくわかる。音楽は「言葉にできない」のではなく、むしろ言葉によって作られていく面もあるのだ。
・CD&DVD51で語る西洋音楽史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/cddvd51.html
・西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書) 岡田 暁生 (著)
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-970.html
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