知識の社会史
古今東西の社会と知識の関係を、大きく全体像を鳥瞰すると同時に、細部も観察する。博覧強記の著者だからできた包括的な知識の歴史学。古代から現代までの知識人、首都、図書館、宗教と官僚制、出版と市場、知識と分類などがキーワードである。
冒頭、知識とは何かの定義から始まる。バークは、
「情報」(Information)= 「生の」素材 特殊で実際的なもの
「知識」(Knowledge)=「調理された」素材 思考によって体系化されたもの
としている。「生の」、「調理された」は人類学者レヴィ・ストロースのフィールドワークでの「自然」と「文化」の分類と同じ言葉である。そうすると知恵(Wisdom)とかデータも定義が欲しくなるのだが、知識の社会史は分類の歴史でもあった。
集めた情報を体系化し、再編成していくやり方は時代や地域によって大きく異なる。西洋の近代の学問体系に大きな影響を与えたベーコンは、心には3つの能力(記憶、理性、想像力)があるとして、その図式のもとにあらゆる知識を分類した。たとえば歴史を「記憶」、哲学を「理性」、詩学を「想像力」に分類した。分類思想の変遷は、大学の学部構成や、図書館・博物館の配列といった知識を生み出す制度にも影響を与えている。
知識の社会史は、知識を生み出す体制とそれを破壊するイノベーターの歴史でもある。制度化されることの重要性について、著者はこう書いている。
「一般的にいって、周縁にいる個人は輝かしい新思想を生み出しやすい。他方、その思想を実践に移すには制度を築く必要がある。たとえば、われわれが「科学」と呼んでいるものの場合、十八世紀の制度改革は学問分野の実践に大きな効果を及ぼした。しかしながら制度は遅かれ早かれ固定化し、さらなる変革への障害になる。定着した制度は既得権益の場となり、その制度に権益をもつ集団によって占められ、その知的資本を失うことへの恐怖が生まれてくる。クーンが「通常科学」と呼んだものの支配は、このようにして社会的にも制度的にも説明できるのである。」
中心と周縁、異端と正統、愛好家と専門職、改革と日常仕事、公式と非公式など、しばしば対立する二つの集団の相互作用ぎあいによって、知識を創造する社会自体が進化してきたのだ。
「読者はきっと伝統の維持者よりも改革者の肩をもちたい気になるだろうが、有給の知識の歴史においては、その二つの集団は同じくらい重要な役割を果たしてきたのである。」
バークは中盤で知識の地理学という視点を問題提起的に持ち出す。かつて「この山脈のこちら側では真理であっても、反対側の世界では誤りとなる。」とモンテーニュは言ったそうだが、歴史的にみて情報や知識は、どこにいるかによって異なるものだった。
情報がネットワークでフラット化したはずの現代だって同じである。
・ダーウィン映画、米で上映見送り=根強い進化論への批判
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009091300077
「【ロンドン時事】進化論を確立した英博物学者チャールズ・ダーウィンを描いた映画「クリエーション」が、米国での上映を見送られる公算となった。複数の配給会社が、進化論への批判の強さを理由に配給を拒否したため。12日付の英紙フィナンシャル・タイムズが伝えた。」
こんなニュースがあったが米国内でもどの州に住むかによって、人類が猿から進化したかどうか、真理が異なる。中東と欧米では宗教によってテロや戦争を引き起こすくらいの真理の隔たりがある。重大事に関する真理は未だに知識の地理性によって決まっている。
しかし、知識の社会史を鳥瞰してみると、場所によって真理が異なること自体は悪いことともいえないようだ。世界の中心はどの時代にも、ひとつではなくていくつもあるということを理解する柔軟さが必要なのだ。
ほかに知識流通の市場の歴史や、読書における精読と速読の対立などという話も面白かった。
この知識の社会史こそ「情報学」として学校で教えたらいいのにと思った。
・読書の歴史―あるいは読者の歴史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1047.html
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