裸体とはじらいの文化史―文明化の過程の神話
大変にユニークであり中身も濃く、面白い。5つ星の本。
人類のはじらいの文化は、野蛮から文明化社会へ、不作法から洗練へ向かったという一般的な見方(ノルベルト・エリアスの文明論に代表される)を真っ向から否定する研究書。原始社会の人々は裸体や排泄する姿を人前に晒すことに恥を感じない野蛮な社会だったというのは根拠がないウソであるという。むしろ原始社会と言われる社会の方が恥の感性は発達しており、裸体の社会的管理も厳格だったりするのである。
全裸で暮らす≪未開の≫部族は、一見、裸に対して羞恥心を持たないかのように思えるが、実は彼らはお互いの裸体を見ないように暮らしているのだ。うっかり男性自身を硬直させないよう女性に近づかないように心掛ける。もし少女の陰部をみつめたりすればその親に報復されたり、村から追放される厳しいルールがある、などということが解説されている。
男が女を見るというだけではない。たとえばいくつかの社会では父親や目上の男の陰部を見てはならない。それは大変な恥辱を与える失礼なことだった。聖書でも父ノアの陰部を見てしまったハムが呪われている。見えても視線を向けてはならなかった。
「裸の社会では、服を着た人たちより礼儀正しく振る舞わねばならない。言葉、身振り、視線もすこぶる慎重で用心深くなければならない。」
原始社会には物理的な個室の壁や衣服がない代わりに心理的な「幻の衣」をまとい、「幻の壁」を作りだして、恥を社会的に管理していたのである。羞恥心の発達は現代人以上に高度で複雑で繊細だったことに驚かされる。
たとえば排泄を見られたら死んでもおかしくなかった。
「ミクマク族の兄弟が森の中にいた時、若い娘は兄の衣服に跳ね上げた便の汚れをみつけたが、それは彼が今しがた傍らの藪の中で用を足したことを物語っていた。それを指摘された兄は、余りの恥ずかしさに大枝で首を吊ってしまったのである。」
小学校でトイレで大の用が足せない子供の感覚は人類史的には結構まともなのである。
「ニューギニアのハーゲンベルグ族は、排泄の最中を偶然見つかると恥ずかしさの余り両手で顔を覆い、首を吊るべきかどうか考える。<中略>用を足している女性を見た男性は、そばへ行き、自分といっしょに寝ないかと尋ねるのが当たり前である。普通、彼女はそれに同意する。なぜなら性交後二人はたがいに親密な関係になったため、恥はなくなるからである。」
うっかり女性が用を足しているトイレのドアを開けてしまった場合、結婚して責任をとるべき社会というのもあるのだ。なんて世界は広いのか。
中世ヨーロッパの魔女裁判の取り調べにおいても死ぬほどの羞恥心が利用された。魔女の疑いがある婦人に対して、悪魔の印がないか検査のため、毛を剃るぞと脅したのである。すると「陰部のあたりの毛を剃られるのはひどく恥ずかしかったので、多くの婦人はへなへなとなり、拷問なんかせずとも一切を白状した」という。
古代ギリシアの裸の英雄、中世の浴場、近代の水浴び、日本やロシアの裸体の扱い、ヌーディストの視線、ベッドでのはじらい、幼児の性、便器、排尿・排泄・放屁、召使いや奴隷の前での露出、刑罰、俳優と娼婦の露出など、裸体とはじらいの関係について、古今東西の文化を比較検討していく。すると裸と恥がヨーロッパだけでなく世界中の原始的社会でも密接に結びついており、はじらいとは人類に普遍の感性であることがよくわかる。恥ずかしさが文化文明を発達させてきた一因でもあるのだ。
この本は写真資料と参考文献が大量に掲載されているのが特徴だ。特に写真資料は古今東西において恥とされたり卑猥とされた絵や写真ばかりだ。学術書なので、そこまできわどいものはないが、ちょっとした珍宝館みたいである。私が一番猥褻だなと思ったのは、フランスの農夫の寝間着の写真だ。上から被るように着るものなのだが、陰部のあたりにスリットが開いている。これは宗教的に性が抑制されていたため、最低限の肌の露出で夫婦の義務を果たせるようにした工夫なのだが、逆にその目的のためだけに開いた切り込みが、いま見ると実に艶めかしく、いやらしい。
本書で人類の歴史を振り返ってみると、ヌードがメディアにあふれた現代日本は、むしろ羞恥心や社会的抑制が極めて衰退しているようにも思える面もある。だが今だって女性は黒いベールで顔を隠す国もあれば、壁のない公衆便所で並んで排泄するのが普通の国もある。どちらが文明化されて洗練されているかなんて一概にはいえないわけだ。そうした「文明化の神話」を裸体とはじらいの関係史をひもとくことで打ち壊すのが本書の著者の真のねらいなのであった。
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