新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に
「冒頭にも書きましたが、わたしは紙のメディアは銀塩のフィルムカメラに似ていると思います。書店は中古カメラ屋さんのようになるのかもしれません。最新の刊行物を並べる書店は量販店化していくでしょう。そして、フィルムカメラが廃れ、デジカメが全盛のいま、紙の本は中古カメラのように稀少品に近くなると思います。」
『WIRED』『サイゾー』とエッジの効いた雑誌の創刊者であり、インフォバーン社長として出版ビジネスの経営者でもある小林弘人氏による旧勢力にはちょっとばかり痛烈なメディアの未来論。
「これから、出版社などのメディア企業が抱える頭痛の種は、競合する相手が自分たちと似たような企業ではなく、1人か、もしくは数人くらいまでによってローコストで運営されるメディアとなることです。 高額の給与や家賃、諸経費という固定費縛りがある企業が、寝ずに頑張る個人と競り合うことは、大変なことです。」
そうだよなあと思う。
90年代中盤のインターネット草創期に、私はジャーナリストの神田さんと二人で何度かシリコンバレーのベンチャー企業を取材して回る旅に出た。安い旅費の貧乏旅行ながらも、フットワークの軽さで1日に何社もの有望企業の記事をネットにアップすることができた。帰国してから日本の出版社に原稿を売ろうとは思っていたが、日々ネットにアップするのは、フリーランスの宣伝行為でもあるが、実のところ、マインド的には無償の趣味みたいなものであった。
私たち二人はあるとき、日本の大手新聞社のシリコンバレー支局を訪ねた。向こうの駐在員も2名であった。彼らは「やがて神田さんとか橋本さんのようなフットワークが軽い人たちに大手新聞社はやられてしまうかもしれない」と言っていたのを思い出す。当時の私のように、"何で食っているのかわからないような人たち"が、メディア企業の脅威になるのだと思う。
新しいメディアのプロデュースにおける心構えとして小林氏は、次のように語っている。メディアだけでなくITビジネス全般にも通じそうな話でもある。
「新しいプラットフォームがつくるスフィア(生態圏)では、そこに棲む人たちの関心や行動パターンなどを、皮膚感覚で理解する必要があります。それが「その他大勢」よりも優位に立てる条件であり、ライティングや動画製作のプロであるか否かは二の次だとわたしは考えます。」
ユーザーオリエンテッドかテーマオリエンテッドで生き残れという指南もあった。古い業界体質に対しては辛口だが、出版業界に対する根底的な部分での愛を感じる、著者なりのツンデレなメッセージの本である。
新聞とか雑誌とかどうなっちゃうの?という人はまずこれを読むといい。
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