読書の歴史―あるいは読者の歴史
古代の甲骨文字や碑文から、現代のデジタルテキストまで、古今東西の読書と読者の歴史を博覧強記の著者が、次のようなユニークな20のキーワードで語っている。いつか書かれる「決定版 読者の歴史」のため敢えて未完の体裁をとっているが、極めて網羅的で完成度の高い歴史書である。名著。
20の章立て:
「陰影を読む」「黙読する人々」「記憶の書」「文字を読む術」「失われた第一ページ」「絵を読む」「読み聞かせ」「書物の形態」「一人で本を読むこと」「読書の隠喩」「起源」「宇宙を創る人々」「未来を読む」「象徴的な読者」「壁に囲まれた読書」「書物泥棒」「朗読者としての作者」「読者としての翻訳者」「禁じられた読書」「書物馬鹿」
現代人が普通だと考えている読書スタイルは、長い文字文化の歴史の中で比較的最近になって確立されたものだということがわかる。
西欧では10世紀くらいまで、読書は原則音読であったそうだ。アウグスティヌスもキケロも読書とは声に出す行為であると考えていて、当時の文化人に黙読は珍しかったらしい。死んだ書き言葉に対して生きた朗誦の言葉があり、キリスト教でもイスラム教でも、教典や神の言葉を声に出して読む行為は重んじられてきた。
「中世もかなり時代を下るまで、文筆家は、自分が文章を書いている時にそれを声に出しているのと同じく、読者も、たんに読者も、テクストを見るのではなく、それを聞くものだと考えていた。もっとも、文字を読める人が少なかったため、文字を読める人物が他の人々に読み聞かせるという方法が一般的であった。」
音読するということは聞き手がいることが前提されているということでもある。聞き手は気になる部分を質問したであろうし、読み手はそれに答える必要も生じたかもしれない。一人で内面的に知識を吸収していく現代人の読み方とは、大きく異なる読書形態も長い歴史があったのだ。
この長大な歴史から、書物の分類と内容の解釈が、テクストの意味や価値に無限の広がりをもたせるということに改めて気づかされた。古代シュメールの図書館で目録作成者は「宇宙を創る人々」と呼ばれていた。書物の分類とは、ある世界観に基づいて万物と事柄を体系化する行為だった。そして、分類された本は、分類の軸上で特定の価値や傾向を持つものと評価される。
「分類基準とは、そこに属さない部分を排除するものだが、読書はそうではない。否、そうであってはならないのだ。どんな種類の分類がなされたところで、そうした分類は読書の自由を抑圧することになる。だから、好奇心旺盛で、注意深くある読者ならば、決定づけられてしまった範疇から書物を救い出さなければならないのである。」
「ガリヴァー旅行記」をフィクションとするか社会学とするか、児童文学とするかファンタジーとするか、それによって本の意味が大きく変わってくる。どういう本として紹介するか、だから前提を考え抜くことは大事だ。書評を書く人間も常に意識していなければならない大きな問題である。
そしてこの本から学んだ最大のポイントは読書は創造行為であるということ。
「読書において、「最後の決定的な言葉」というべきものがないのなら、いかなる権威も「正しい」とされる読みを我々に押しつけることはできない。」
ユダヤのタルムード研究者たちは原典に対して注釈を加えたが、常に古い注釈を批判的に読み、原典に立ち戻った再解釈を加えていった。結果としてひとつのテクストから無限ともいえるような創造が行われていく。
「あのはるか昔の聖金曜日にコンスタンティヌス帝が見いだした永遠の真理とは、テクストの意味は読者の能力と願望によって拡充されるといういうものである。テクストを目にした読者は、そこに記された言葉を、歴史的にみれば、そのテクストとも作者とも関係のない、読者自身の問いかけに対するメッセージへと変換する。この変換こそ、もとのテクストの内容を豊かにもしまた台無しにもするわけだが、いずれにしてもそのことは、読者が置かれた状況というものをテクストに吹き込むことにほかならない。ときには読者の無知により、またときにはその信仰によって、あるいは読者の知性や策略、悪知恵、啓蒙精神などにより、テクストは、同じ言葉でありながら別の文脈に置き換えられ、再創造される。まさにその過程で、テクストはいわば生命を与えられるのである。」
読書・読者の歴史は単なる記録媒体と受け手の歴史ではなかった。私たちが慣れている情報のインプットとアウトプットという分け方は本当は単純すぎるのだ。読むということは本質的に創造行為であり、ひとつのテクストは無限の意味と解釈を生む、パターンが生み出すパターンなのだ。
・読書論
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/post-932.html
・読書について
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/post-913.html
・読書という体験
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-569.html
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