間道―見世物とテキヤの領域

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・間道―見世物とテキヤの領域
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テキヤ稼業(的屋、香具師ともいう)のドキュメンタリ。間道(カンドウ)とはわき道、抜け道、隠れ道、裏街道のこと。日本の伝統文化の隠れた側面を描き出す物凄く面白い内容。

1979年に東京芸術大学彫刻家を中退した著者は、蝋人形をトラックに乗せて見世物小屋を興行する旅に出た。「高物(見世物小屋)」「高市(大きな祭り)」「三寸(露店)」「ネタ(商品)」「太夫(芸人)」。その世界の言葉の意味さえ知らなかった新参者は古株から怒鳴られながら、少しずつ流儀を覚えていく。

「見世物小屋の旅に私はカメラを持って出ている。旅は思いのほか厳しいこともありカメラを紛失したのは旅に出てすぐのことだ。記録しようとする自分にうしろめたさを感じていたかもしれない。異質へのあこがれはたちまちに打ち砕かれる。生きるために禁忌を犯す人たちに共感を強くしていった。歴史は異才、異能の人たちをそれまでの私に見せてはくれなかったのだ。」

各地の祭りの縁日を仕切っているのは極道者も多い。間道に生きる人たちにとって極道も共生関係の仲間である。テキヤとして一人前になって極道とのつきあいがちゃんとできるようになった自分を誇らしげに感じているなどという記述もある。

祭りを追って各地を転々とする旅は決して楽ではない。だがその厳しさがテキヤの迫力を生む。

「ときには野草の雑炊も食べた。移動する夜汽車の中で飯を炊いたこともある。博多のような大高では、見世物小屋は唾に血が混じるまで啖呵を吐き続ける。そのために喉は潰れ声は掠れる。 潰れるのは声だけではない。移動から移動を続けてきた人には、物事にこだわらず通り過ぎる心得のようなものが身についている。自分はどこにいようが、何者であろうがかまわない。それがまた啖呵に反映するのだ。」

この著者は、文化人に働きかけてパリでの縁日興業を成功させたり、本を書いたりと、さすがに元芸大インテリな面もあるのだが、文章からは衒学的なカラーがまったく感じられないのがいい。好きで入ったテキヤ歴20年以上と言うこともあって、すっかりその道の内側からの視点、価値観で、間道に脈々と受け継がれてきた伝統を語ることができるのだ。
表社会と裏社会の間にある周縁文化に関する貴重な証言であると同時に、その魅力にとりつかれた異能者の読み応えのある自伝でもあり、読み始めたら止まらなかった、5つ星な一冊。

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このページは、daiyaが2009年8月10日 23:59に書いたブログ記事です。

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