欲望の植物誌―人をあやつる4つの植物
人間が品種改良したからではなく、植物は自ら周囲の動物の欲望をあやつることでこそ今の姿になったのだという独特の視点に立った共進化論と歴史学のエッセイ。本書で取り上げられる4つの植物とそれらがあやつる人間の欲望は以下の通り。
リンゴ → 甘さ、甘いものが欲しい
チューリップ → 美、美しいものを手に入れたい
マリファナ → 陶酔、ハイになりたい
ジャガイモ → 管理、自然を管理したい
人間はこうした欲望を満たすために植物を利用しているが、逆に植物の視点に立てば、人間に運ばれ食べられることで広域に繁殖することに成功している。
たとえばリンゴはタネが熟すまでは目立たない緑色で甘味もない。タネには毒があって果実しか食すことはできない。だからタネは果実を食べた動物によって運ばれ、未消化のまま地面に落とされる。かくしてリンゴは動物が求める果糖と引き換えに分布域を拡大してきた。
チューリップなら引き替えにしたのは花の美であった。マリファナなら動物の脳に作用する化学物質であり、ジャガイモでは品種改良の容易さであった。
「私たちはつねづね「栽培化」という行為を自己中心的に、人間から植物への働きかけと捉えがちだ。しかしこれは同時に、植物が私たちや私たちの抱く欲望をーーー美意識というもっとも特異な欲望でさえもーーー自らの利益のために用いた戦略でもあるだろう。」
なぜ花が美しいのか。なぜ果実はおいしいのか。なぜマリファナに酔うのか。なぜジャガイモ栽培が楽しいのか。
「植物の進化にとっては、相手の生物の欲望こそがもっとも重要な鍵となったのだ。理由は単純で、相手の欲望をより多く満たすことのできる植物ほど、より多くの子孫を残すことができるからだ。こうして美は、生き残り戦略として生まれてきた。」
最近、テレビや新聞で人間の活動が原因で○○が異常大量発生などというニュースを見るが、本来、自然に異常も平常もないわけである。それは○○という種が、人間の活動をうまく利用して、繁殖に成功したというだけの話である。○○という種の歴史から見たら偉大な一歩なのである。
栽培植物もまた人間の意図や意識が作りだしたと考えられがちだが、実際には人間と植物の相互作用のなかから自然に生まれてきているのではないかと著者はいう。人間を自然の外側に置く思想では共進化の姿を理解できないからだ。
「より均整のとれた花や、より長いフライドポテトを求めて手を伸ばすたび、知らず知らずのうちに進化を決定づける一票を投じているのだ。もっとも甘いもの、もっとも美しいもの、そしてもっとも「酔わせる」ものが生き残っていくプロセスは、弁証法的に展開する。すなわち、人間の欲望と植物の可能性の宇宙のあいだに交わされるプロセスは、ギブ・アンド・テイクの繰り返しのなかで進んでいくのだ。そこで必要とされるのは二人一組のパートナーであって、決して意図や意識ではない。」
欲望を持った植物と人間の恋愛の結果が現在の自然の姿なのだ。
博学の著者は植物をめぐる多様な世界史、文化、社会、技術の話題をこの本の中で全方位で考察している。思えば、環境問題では環境"破壊"、環境"保護"など人間が自然の生殺与奪の権利能力を握っているかのような言葉が使われる。だがそれは植物の側だって握っているものなのだということを思い出させてくれる。
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