名人
1938年、川端康成は名人 本因坊秀哉の引退碁の観戦記を新聞に連載した。この歴史的名勝負は、リーグ戦を勝ち抜いてきた木谷實七段を相手に、持ち時間が40時間という異例の長さに設定され、史上初の「封じ手」を導入した大一番であった。6月に開始された対戦は1日数時間ずつ数日おきに打ち継がれ、会場となる旅館を移動しながら、12月に木谷の五目勝ちとなるまで続いた。この間、対戦から離れられない二人には死力を尽くすような緊張状態が続いた。碁の世界では、新しいやり方で、終身名人制において最後の世襲名人が敗れるという新旧世代交代の象徴となる出来事だったらしい。
この現実の取材経験を川端康成は小説「名人」として作品化した。重病に倒れながらも勝負に挑もうとする執念、飄々としていながらも自然とあらわれる名人の威風、そして囲碁の世界以外を知らない純粋さ。川端は名人を「一芸に執して、現実の多くを失った」人として描写した。文学者としての道を極めつつあった川端自身の人生と、重ね合わせていることは間違いないなさそうだ。道を極めることの厳しさ、尊さ、孤独、悲しさ、滑稽さを、円熟の筆致で描いている。
川端康成というと女性の描写が魅力の作品が多いが、「名人」は二人の対局者を中心に男性ばかりの世界が描かれる。新聞に連載した観戦記を作品化したというのも、川端康成の作品の中では異色の作品といえる。淡々としていながら緊張感が張り詰めた語り口が続く。この小説自体が対局の再現であるかのような凄みがある。
#なお、この作品は少しだけ囲碁のルールを知っていた方が楽しめる。
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