ブロデックの報告書
この小説は絶品。読みふけった。
「僕はブロデック、
この件にはまったく関わりがない。
僕は何もしなかったし、
何が起こったのかを知ったときでも、
できればいっさい語らず、
自分の記憶に縄をかけ、
金網の罠にはまった貂のようにおとなしくさせるために
きっちり縛り上げておきたかったのだ。」
主人公ブロデックは村人達が集団で放浪者アンデラーを殺す現場に偶然居合わせてしまう。村人達は村一番のインテリである彼に、この事件の顛末を中央に伝えるための正しい報告書を書けと脅す。もともと余所者で立場の弱い"僕"は依頼を断ることが出来ずに、不穏な監視下、自室に閉じこもって黙々とタイプライターを打つ。
村人達は主人公に踏み絵としての事件記録を書かせた。彼の村への忠誠を試しているのだ。しかし、彼が書き綴っていたのは事件の報告書だけではなかった。それは彼自身が記憶の奥に封印していた戦時中の陰惨な体験の記録であった。その過去の記録がやがてブロデックの今の立場を映し出す鏡になる。
人間の集団があるところには必ず疎外がある。集団の論理は個人の自由を制約し、ルールに従えない者を排除する。よそ者や罪人を排除することによって村の平和と連帯が成り立つ。ブロデックに求められているのは事件を説明しながらも、自身の信念をまげて、村人に不利な事実を書かないことであった。
ブロデックの立場は国の正史を書く歴史家の立場と同じでもある。正史の書き手は現状の権力関係の正統性を肯定するように、過去を物語化することが求められる。ブロデックは屈辱的な服従の経験を振り返りながら、村の歴史をどう書くべきかを苦悩する。虚偽を書いて村の一員になるか、真実を書いて制裁を受けるか。
ミステリー仕立ての作風だが、テーマは重たい。圧倒的な疎外の物語である。
・「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/02/post-529.html
アゴタ・クリストフの3部作が好きな人に特におすすめである。
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