日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで
「日本の古代信仰のもっとも中心的な課題は、霊魂の観念であり、それも遊離魂よりはむしろ霊力、呪力の観念であるが、日本の学界ではこの種の霊魂観念に関する問題意識が乏しく、そのために呪術・宗教のもっとも基本的な概念である「神聖」ということも、清浄なことと解して疑うことなく、賀茂祭のミアレ木や阿礼幡など、各種の儀礼に用いられる呪物も、神の依代だとする誤解が常識化している」
著者は古代の儀礼、神話、歌を資料として、霊魂と呪物・呪術に用いられた言葉を分析し、古代人の宗教意識を解明していく。最初に取り上げられているのは霊魂(タマ)の観念の分別である。古代語には呪力霊力(マナ)を表すタマと、遊離霊としてのタマがあるという話。
魂という言葉はタマシヒ(タマ=霊魂、シ=の、ヒ=霊力)からきている。平安の頃の用法ではタマシヒは霊力であり霊威であり、生まれつきの天分や才能を意味した。人魂になって飛ぶような遊離魂の意味ではなかったという。古い和歌にその使い分けがはっきりと見られることが示される。
タマやヒと並んで、神聖を表すのが「イ」「ユ」であった。それは生命力の強い自然物の接頭語として、また霊力を与える動きを意味する動詞にも使われた。イク(生)、イハフ(祝)、イム(忌)などがそうだ。神々の名前には共通する音が使われた。ヒ(ヒ、ヒル、ヒヒル、ヒレ、ヒラ、ヒロメク)、チ(チハフ、チハヤブル)、ニ(ニホフ、ニフブ)、タマが代表格として挙げられている。
「呪力の信仰は言葉にも認められ、言霊信仰では、めでたい言葉はめでたい結果を、不吉な言葉は不吉な結果をもたらすとする」という古代人の考え方によって、呪術や祭祀に係わる多くの言葉の中にこうした音が取り込まれていった。こうした言葉のフェチシズム体系が言霊の正体ということか。
呪術を信じた人々にとって、当時、言葉を操る行為は魔術に近かったのだろう。一方、現代の日本人は言葉はコミュニケーションのツールであると割り切っている。おかげで呪術的な側面をほぼなくしてしまったのだなと思う。この本を読むと、かつて日本語に備わっていた霊的パワーを考古学的に知ることができる。古事記・日本書紀が好きな人は一読の価値あり。
・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ...人は何を恐れたのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/01/post-51.html
・日本の古代語を探る―詩学への道
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/03/post-210.html
・古代日本人・心の宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/05/aaulesif.html
・図説 金枝篇
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-563.html
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