いま、ここからの映像術 近未来ヴィジュアルの予感

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・いま、ここからの映像術 近未来ヴィジュアルの予感
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どういう発想や見方、取り組み方があるのか。新しい映像を作りたい人たちのための映像文化論。Q&Aを中心にアイデアフラッシュ(コラム)、作品紹介、作家ファイルなど混在形式で一見雑然としているが、10人のクリエイターや評論家がこれぞというネタを圧縮して詰め込んでいるので、全体として非常に濃い内容になっている。最先端の映像クリエイティブのデータブックとしても使える。

「年間三万人も自殺する戦場のような日本をどう撮りますか?」
「ショートムーヴィーはなぜ流行るのですか?」
「ストリーミング配信・インタラクティブスタイルの未来形は?」
「映画コンクールに入選するにはどうしたらいいですか?」
「撮影中の偶然の出来事をどう受け止めたらいいですか?」

といった質問に対して、回答者が自身の経験や最新の話題を絡めながら答えていく。

クリエイターが語る映像論がいい。熱い。たとえばどういう創作動機があるべきか。

「映像を撮ろうと思うとき、動機に正しいも間違いもありません。撮りたい衝動に掻き立てられたならば、その気持ちに従ってキャメラを回せばいいと思います。しかし、大事なことは、撮り手自身がその衝動を生み出した原因に自覚的になり、どの程度の「執着」と「執念」を見いだせるかが最も重要です。それが同時に対象へのアプローチの仕方へと繋がっていきます。 動機というのはしばしば過去の喪失体験から生まれ、それを自らの意志で明確にしないといけません。」

強い動機をつくりだすには自分の暗部、喪失体験、抑圧体験と向き合えという。ダメな自分を徹底的に客観化、具体化し、自分と他者との関係性の本質を見出すことができたとき、「撮りたい」が「撮らざるを得ない」になって、創作の有効な武器になる。これは映像に限らずあらゆる創造行為、表現行為に通じることのように思った。

映像のモチーフは発明しない、発見しろと教えている回答者もいる。まったく新しいもの、自分だけのものは、誰にも理解されない。表現者は思いを社会的な価値観や共通の言葉に落とし込んで、それが誰にで伝わるようにする必要がある。

「新聞の三面記事や、テレビのワイドショー、ニュースなどを注意深く見ていれば、必ず自分が興味を魅かれる事件に突き当たるはずです。そこで、なぜ、その事件に魅かれたのかを考えてみるのです。その事件の求心力がどういうものであるかを分析し、さらに、その求心力がこれから作ろうとしている映画の求心力となりうるかどうかを検討するのです。」

インターネットをよく使う人は、自分が検索エンジンに入力したキーワード履歴や、アマゾンのお買い物履歴、ソーシャルブックマークに残したタグなどを見ると、自分の関心が具体的に見えてきたりするものだ。テクノロジーは世界を見るだけでなく、内面を見つめ直すのにも使えるように思う。

この本にはスウェーデッド・フィルム(短編パロディ自作)、ノリウッド(ナイジェリアの映画)、ライブビデオソフトのVVVVなど、トレンドやテクノロジーの先端的なキーワードがたくさん紹介されている。学生向けに編まれているように見えて、入門には終わらない。とても満足。

掘り出し物が多い東京都写真美術館のショップで発見した一冊。

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このページは、daiyaが2009年3月17日 23:59に書いたブログ記事です。

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