足もとの自然から始めよう
子供達の環境教育に投じられた一石。
「"環境保護的に正しい"とされるカリキュラムは、現在進行している悲惨な事態を目の当たりにすれば、子どもたちのなかに現状を変えていこうという意志が育つにちがいないという思い込みの下に進められている。しかし、実際にはこうした悲惨なイメージというものは、自己、そして時間と場所の感覚を形成する途上にある幼い子どもに対して、始末におえない、悪夢のような影響を与えている。」
著者は、熱帯雨林の破壊、オゾン層破壊、地球温暖化、絶滅危惧種の問題などの複雑な環境問題を、あまりに早い時期に子どもに教えようとするのは逆効果であるという。破壊された環境や殺された動物の映像を見せる前に、まず自然を好きになるような機会を用意すべきだと説く。
子どもの地理的、概念的な視野を超えた複雑さは、彼らに混乱を与えて自然に対する恐怖症を植え付けてしまったり、偽善的なうわべだけの環境意識を持たせることになる。年齢に応じた学習プログラムが大事であるとし、著者らの開発した具体的な活動案が提示される。それは、
1 子ども期初期には自然界に共感する心を励まし
2 中期には"秘密基地"遊びなどで探検する心を優先させ
3 思春期の初期には社会的な活動に参加させる
というもの。「4年生まで悲劇はなし」。ある程度の広い視野を子供達が獲得するまでは環境破壊の怖さはできるかぎり見せないでおく。まず自然に対する好奇心や愛情(動物が可愛いなど)を育むプログラムになっている。
「環境活動にかかわっていく本物の姿勢というものは、まず自分で管理できる狭い場所での経験から生まれるものだ」
で、これは本来は小学4年生までの児童の教育について問題を指摘しているわけだけれども大人だって同じかもしれない。好きだから守るのが自然な流れであって、世界の大問題だから守るというのでは動機づけとして弱い。地球温暖化や生物多様性など抽象度が高い環境問題を無理に考える前に、大人もまた「足もとの自然」を大事にするようになれば、結果として環境保護というのは解決に向かうのではないか、と思った。
「愛のない知識が根をはることはない。しかし、初めに愛があれば、知識は必ずついてくる」ジョン・ブラフという人の言葉が印象的。
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