2009年3月アーカイブ
インターネットやソーシャルネットワークの発達によって、今、企業と消費者を結ぶメディアリレーションの法則が大きく変化しようとしている。ネットで成功するマーケティングPRの方法論を語る米国ロングセラーの邦訳。ネットPR会社の老舗ニューズ・ツーユー社の平田大治氏(元"ブログ神")翻訳、ネットPRの国内第一人者 神原弥奈子社長が監修。
「何百万人もの人がメディアを通さずに直接プレスリリースを読んでいる。もはや人々に直接話しかけなくてはならない。」。
これはネット企業の経営者兼ブロガーとして同感だ。今時はプレスリリースを出す目的はメディア記者の目にリーチすることだけではない。出せば検索に引っかかるから一般読者も読んでくれるのだ。SEO対策にもなる。ブロガーも記事に引用しやすくなる。
だからプレスリリースは記者以外も想定して書くべきである。業界記者のマニアックなツボを突く必要はないし、業界では常識の専門用語で埋め尽くしてもいけないのだ。ニューズ・ツーユー社では、マスコミに向けて発信するのが「プレスリリース」、インターネット上のマスコミも含めたステークホルダーに対して直接発信するのがニュースリリースと区別しているという。
テクノロジーマーケティングでは"ゴブルディグークを使うな"という警句にも感心した。ゴブルディグークとは「次世代」「最先端」「フレキシブル」「堅牢な」「ワールドクラス」「スケーラブル」「使いやすい」「重点計画」「マーケットリーディング」「業界標準」「革新的」「ユーザーフレンドリー」。こういう言葉はなくても通じる、いや、ないほうが通じるものだ。こうしたメディアやブロガーへの有効なアプローチ方法が、海外でのエピソードを交えて紹介されている。
記者との関係性についてはこんな記述があった。
「売り込む前に、相手の書いた物を読もう」
「一人の記者に絞る」
「記者がブログを持っていたら、それを読んで、コメントを残し、トラックバックしよう」
個人的な話になるが、私は先日ある企業から「情報力」というテーマで講演を頼まれた。パソコンやネットを「外部脳」として徹底活用しましょうという内容で、結構ウケた。後日個人ブログに会社で聴いた話がおもしろかったと書いてくれた人もいた。
講演が終わってから、私を呼んでくれた担当者とランチをしたのだが、彼は私のブログをちゃんと読んでくれていた。さすがだ。的確なコメントをされるので私はとても楽しかった。ただ私は楽しかったのだが、担当者氏はなにか物足りない表情をしている。
帰ってから謎が解けることになる。なんと彼は以前より「外部脳」をタイトルにしたブログを書いていたのだ。す、すいませーん。私は事前にそれを把握しておいて講演でもランチでの会話でも、そこをもっと話題にすべきだったのである。大反省だ。
まさに関係者総ブロガー時代の到来である。
もう油断がならない。
取材を受ける人ではなくて、取材をする記者がブログを書いている場合がある。ちゃんと取材してもらうには、お互いがブロガーである可能性を意識し、両者がお互いのブログを読んでおくべきなのだ。インタビューはInterーViewと書く、互いをちゃんとみることだなんていうが、インタビュー成功の秘訣は互いのブログを読んだ状態で始めることだと思う。本当に。
さて話が変わるが...。
この本の出版のきっかけになったのはニューズツーユー社の取締役の石谷さんだそうだ。石谷さんは著名なブロガーであるが、ブロガーにインタビューしてまわる名物企画の「連載いしたにまさきのブロガーウォッチング」を連載している。
このたびめでたく私がインタビューを受けることになった。
この取材は互いのブログを熟読した上で臨んだまさにInterーViewセッションになった。出来はどうでしょう。読んでね、みなさん。宣伝オチ。
「日本の古代信仰のもっとも中心的な課題は、霊魂の観念であり、それも遊離魂よりはむしろ霊力、呪力の観念であるが、日本の学界ではこの種の霊魂観念に関する問題意識が乏しく、そのために呪術・宗教のもっとも基本的な概念である「神聖」ということも、清浄なことと解して疑うことなく、賀茂祭のミアレ木や阿礼幡など、各種の儀礼に用いられる呪物も、神の依代だとする誤解が常識化している」
著者は古代の儀礼、神話、歌を資料として、霊魂と呪物・呪術に用いられた言葉を分析し、古代人の宗教意識を解明していく。最初に取り上げられているのは霊魂(タマ)の観念の分別である。古代語には呪力霊力(マナ)を表すタマと、遊離霊としてのタマがあるという話。
魂という言葉はタマシヒ(タマ=霊魂、シ=の、ヒ=霊力)からきている。平安の頃の用法ではタマシヒは霊力であり霊威であり、生まれつきの天分や才能を意味した。人魂になって飛ぶような遊離魂の意味ではなかったという。古い和歌にその使い分けがはっきりと見られることが示される。
タマやヒと並んで、神聖を表すのが「イ」「ユ」であった。それは生命力の強い自然物の接頭語として、また霊力を与える動きを意味する動詞にも使われた。イク(生)、イハフ(祝)、イム(忌)などがそうだ。神々の名前には共通する音が使われた。ヒ(ヒ、ヒル、ヒヒル、ヒレ、ヒラ、ヒロメク)、チ(チハフ、チハヤブル)、ニ(ニホフ、ニフブ)、タマが代表格として挙げられている。
「呪力の信仰は言葉にも認められ、言霊信仰では、めでたい言葉はめでたい結果を、不吉な言葉は不吉な結果をもたらすとする」という古代人の考え方によって、呪術や祭祀に係わる多くの言葉の中にこうした音が取り込まれていった。こうした言葉のフェチシズム体系が言霊の正体ということか。
呪術を信じた人々にとって、当時、言葉を操る行為は魔術に近かったのだろう。一方、現代の日本人は言葉はコミュニケーションのツールであると割り切っている。おかげで呪術的な側面をほぼなくしてしまったのだなと思う。この本を読むと、かつて日本語に備わっていた霊的パワーを考古学的に知ることができる。古事記・日本書紀が好きな人は一読の価値あり。
・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ...人は何を恐れたのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/01/post-51.html
・日本の古代語を探る―詩学への道
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/03/post-210.html
・古代日本人・心の宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/05/aaulesif.html
・図説 金枝篇
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-563.html
女体の文化論、科学論。
何が男心を誘うのか。生物学的、歴史学的な視点から、頭髪、額、耳、目、鼻、頬、唇、口、首、肩、腕、手、乳房、ウエスト、腰、腹部、背中、恥毛、性器、尻、脚、足が個別に論じられる。
男女の身体差は他の霊長類に比べるとかなり大きい。
「新たな分業が進んだことにより、男性は、狩猟のために、いっそう筋骨たくましく、活発で丈夫な身体が必要とされた。平均すると男性の身体には28キログラムの筋肉があるのに、女性には15キログラムしかない。典型的な男性の身体は、女性より30%強く、10%重く、7%高い。 女性の身体は繁殖のためにきわめて重要なので、男性以上にうまく飢餓から身を守らなければならなかった。その結果、肉づきがよく曲線的な平均的女性の身体には25%も脂肪があるのに、筋骨たくましい男性には12.5%しかない。」
脂肪に包まれた丸みのある身体と高い声。女性の赤ん坊のような身体は、男性の子どもを保護しようとする反応を引き出す。男心をそそるほど強い配偶者をみつけて生殖し子孫を残すことができた。その結果として女性は一層女性らしい身体に進化していったのだという。
女性の豊かな胸は"模擬臀部"として進化したという説が面白い。他の霊長類の雌は臀部から後方へ視覚的な性信号を送る。雄は雌の尻や性器を見て興奮するのだ。だが二足歩行になり正面から相対することの多いヒトの場合は、胸を膨らませることで男性を惹きつけるようになったという話。
・現代女性は口紅で濡れた隠唇を模倣している。
・数世紀前の娼婦はベラドンナの目薬で瞳孔を開いて男性を見つめて誘った。
・長い爪は手使う労働をしなくてよい高貴な女性のしるし。
・中国では女性の足は小さければ小さいほど「膣の襞も素晴らしくなる」という迷信を信じて纏足を1000年間も続けた。
・欧米人は脇の下のにおいで興奮する男女が多い。日本人はまれ。
など、女性の魅力に関するデータが満載。
この本でわかるのは
1 なぜ男性は女性の各パーツの特徴に興奮し惹かれるのか
2 時代や地域によって魅力的な女性の身体特徴が異なること
の2つ。1つめはかなりユニバーサルなもので、2つめは個別性が高い。
セックスアピールの科学。性的興奮の中身が冷静に分析されて文節化、言語化されていくのが面白い。男性が魅惑される女体というのは、結構、単純な要素に還元できてしまうのかもしれないという感想。
立体に積まれたブロックを数字のヒントをたよりに消していき、彫刻のように隠された形を削り出すパズルゲーム。NintendoDS用。ピクロスDSの立体版。麻薬的。止まらない。
・立体ピクロス
http://www.nintendo.co.jp/ds/c6pj/index.html
公式サイト。ゲームの説明映像がある。
0と書いてあったらその列のブロックはすべて削除する。1と書いてあったらその列には1つ残すブロックがあるという意味。2以上の数字のブロックは連続して残る。○の中に数字は2つにブロックが分かれて残るという意味。□の中に数字は3つに分かれて残る。文章で説明しようとすると、わかったようなわからぬような。
このゲームを買ってきた日、私は説明書を読んだだけで寝ることにしたのだが、布団の中で勝手に脳内ゲームが起動して眠れなくなってしまった。読んだばかりのルールで、一度もやったことがないゲームを頭が勝手に再現しようとしてしまう。翌日起きてからも同じでしばらく私の仮想脳内ピクロスが続いた。
実際のゲームは初級は1問あたり数分で解けるレベルだが、少しずつブロックの規模が大きくなったり、○や□の数が増えて難しくなっていく。その分、削り出す造形も複雑になるので完成時の達成感も高まっていく。普段は使わない立体の想像力が鍛えられるゲームだ。
というわけで暇を見つけて進めているが、これ350問もあるらしい。おまけにインターネットダウンロードや、オリジナルパズルを作成して、友達にWiFiで送ることもできる。年内に終わるかなあ...。
SF映画ファンの私としては80年代以降の名作は大方鑑賞済みだが、それ以前の作品となると要発掘ゾーン。この本は決して網羅的ではないのだが、SF・ファンタジー両分野の古典の名作をつまみ食い風にピックアップしている。
クラシック作品を丸ごと収録した別冊宝島DVD2枚つき。
■『ジェニーの肖像』
1948年のクリスマスに公開されたSFファンタジーの古典。
冬のニューヨークの公園で、男は不思議な少女ジェニーと出会う。数日後に再会すると少女は数年分も成長していた。男はやがて美しい大人の女性に成長していくジェニーと恋に落ちた二人だったが、時空の歪みの行く末に、悲しい運命が待っていた。とても幻想的で美しい物語。白黒作品かとおもいきや、途中で一部だけカラーが入ったりする。撮影当時としては前衛的な表現が話題だったらしい。
この映画に影響を受けた作品は数多い。恩田陸『ライオンハート』、梶尾真治『時尼に関する覚え書』、萩尾望都『マリーン』、吾妻ひでお『やけくそ天使』の「阿素湖の肖像」、テレビ番組 新トワイライトゾーンの『さまよえる魂』、世にも奇妙な物語の『喪服の少女』などがあるそうだ。
詩的、幻想的、文学的。
・ジェニーの肖像
単体で販売されているDVDのパッケージ。
■『地球の静止する日』
1951年公開、最近リメイクされた名作。米国上空に飛来したUFO。厳重な警戒態勢の前にUFOは着陸、大型ロボットと人間風のエイリアン クラトゥが降り立つ。あらゆる国の代表者との交渉を望むクラトゥと、大国の利害調整に忙しい人類側の交渉は決裂、クラトゥは幽閉場所を逃げ出して、一人人類の社会に潜り込む。
社会的メッセージ性の高い映画なのだが、なによりUFOとロボットの造形に私は惹かれた。銀色でのっぺり。私の脳内のUFOエイリアンのイメージそのまま。監督は『サウンドオブミュージック』のロバート・ワイズ。
・地球の静止する日
単体で販売されているDVDのパッケージ。
クラシックなSFファンタジー映画のおさらいによいムックだった。宝島別冊。
現代は当事者と専門家の発言が面白い時代だと思う。
今日は当事者の本人力たっぷりの2冊。今が旬。
逮捕から3年、ライブドア事件の真相を堀江貴文氏自身が語る。
フジテレビ買収騒動について
「フジテレビ買収は、テレビ放送にライブドアのURLを貼りつけたかっただけ。」
後任になった平松元社長について
「たしかに平松氏は事件の容疑者にはなりえない人物ではある。しかし、彼はネットのことも、ファイナンスのこともほとんどわかっていない人だった。周りが推したのかもしれないが、辞退すべきだったのではないかと思う。」
元経営パートナーの宮内氏の裏切りに対する憤りと疑問。
「彼らがこのようなことをした理由が、私には未だにわからない。ライブドアの上場によって私の保有資産が大幅に増えた(私の保有株の価値が高騰したから。当たり前だが、株価が上がっても、それを売却しなければお金が得られないのに)ことを、彼らは羨ましいと思っていたのだろうか?」
2ちゃんねる創設者の西村博之氏に3万字のロングインタビュー。(この号には他に堀江氏がコラムを寄稿している。)
訴訟で戦った"切込隊長"氏について
「結局いちばん得をするパターンっていうのは、とりあえず相手がなにもやらない限りは、こっちからは攻撃しないっていうことだと思うんですね。<中略>だから僕は、基本的には先に殴るような行為はしないんですが、切込隊長の場合はその瞬間のいちばん大きいメリットをとっちゃうので、長期的な損が発生する方向にいっちゃうんですよ。 それが僕と彼のうまが合わなかった最大の原因だ、ということだったんですけどね。」
対談企画を断ってきた梅田望夫氏に対して
「毎日新聞とはだいぶ違うけど、梅田望夫さんだってポジショントークでしょう。<中略>もともとあの人って、コンサルタントじゃないですか。だからインターネットはこれからうまくいきますよとお金を持っている人に言って、投資をお手伝いしますよ、その代わり手数料をくださいというビジネスでしょう。そうすると、インターネットは夢がありますって言わないと仕事にならないじゃないですか。」
ホリエモン氏とひろゆき氏。やはり特定の誰かについて感情を持って話す部分が強烈に面白い。二人とも自分が世の中にどう見えているかを強く意識して発言をするタイプに思えるが、本の中では敢えて他人を非難、批判している。波風立てまくっている。
実はこの性格、発言スタイルこそ彼らの強みなのではないか。二人が各分野で大きなことを成し遂げたのは、自分で立てた波風をメディアやコミュニティを使って増幅していったからのように思えるのである。
時代の寵児となった二人の人柄がみえて週刊誌的好奇心を満足させられる二冊。
・次元とは何か―「0次元の世界」から「高次元宇宙」まで (ニュートンムック Newton別冊サイエンステキストシリーズ)
次元の考え方から最新宇宙論までをビジュアル解説。ニュートン別冊。
デカルトは次元を「1点の位置を決めるために必要な数値の個数」と定義した。1次元(線)なら距離Xだし、2次元なら座標X、Y、3次元なら座標X、Y、Zで、1点の位置を決定することができる。
ユークリッドの『原論』は、次元を
立体(3次元)の端は面(2次元)である。
面(2次元)の端は線(1次元)である
線(1次元)の端は点(0次元)である
と定義した。しかし、こうした定義では3次元を超える次元を説明できない。アリストテレスは「立体は"完全"であり、3次元をこえる次元は存在しない」とまで論じていたという。
19世紀の数学者アンリ・ポアンカレは、ユークリッドを逆手にとって、次元を次のように定義し直した。
端が0次元になるものを1次元(線)とよぶ
端が1次元になるものを2次元(面)とよぶ
端が2次元になるものを3次元(立体)とよぶ
端が3次元になるものを4次元(超立体)とよぶ
この調子で5次元、6次元、無限次元までを定義することが出来るようになった。これは「点を動かすと線ができ、線を動かすと面ができる。このように、ある次元の図形を、その次元に含まれない方向へ動かすことで、もとの次元より一つ高い次元の図形をつくることができる。」ということでもある。よって立方体を動かせば4次元の超立方体ができるのだ。ただし3次元空間に含まれない方向へ動かす必要がある。
こうした次元の考え方の基礎から始まって、アインシュタインによる4次元時空論、力の統一、超ひも理論、ブレーン理論、巨大加速器LHCの実験の話までを、美しい概念図やイラストたっぷりに、かみ砕いて教えてくれる内容。
これを読み終わると、この世界は4次元(3次元+時間)ではなくて、実は10次元なのだという最新物理学の仮説の意味が理解できる。残り6つの次元は極小レベルで折りたたまれているのだ。ワープする余剰次元モデルを提唱するリサ・ランドールの長文インタビューを巻末に収録している。
わかったふりをしてきた部分が、要点整理とビジュアルで本当にわかる本だった。宇宙論の本の副読書としておすすめ。
独特の文体が可笑しい恋愛コメディ小説。
「
「それで、あの子とは何か進展あったの?」
「着実に外堀は埋めている」
「外堀埋めすぎだろ?いつまで埋める気だ。林檎の木を植えて、小屋でも建てて住むつもりか?」
「石橋を叩きすぎて打ち壊すぐらいの慎重さが必要だからな」
「違うね、君は、埋め立てた外堀で暢気に暮らしてるのが好きなのさ。本丸へ突入して、撃退されるのが怖いからね」
「本質を突くのはよせ」
」
一途な先輩が、テクテクと先を歩いていく後輩の乙女を追いかける。先輩は「ナカメ作戦(なるべく彼女の目にとまる作戦)」と称して、毎日のように彼女と「奇遇ですねえ」な出会いを演出するのだが、天然の乙女には一向に真意を気がついてもらえない。恋路を邪魔するアクシデントの連続に、奥手な先輩はますます「永久外堀埋め立て機関」と化す。先輩の視点と彼女の視点が交互に展開され、二人のすれちがいぶりが強調される。まったくの片思いというわけでもないのだけれど。
著者の森見 登美彦の出身、京都と京都大学が物語の舞台。「きつねのはなし」の民俗ファンタジーな世界観も適用されていて、半分妖怪みたいな登場人物達がドタバタを繰り広げる。それに、理系の二次元美少女指向が加わって独特の雰囲気を醸し出す。彼女の「おともだちパンチ」に萌える読者多数?。
世界観の完成度は非常に高い。山本周五郎賞受賞作。
・きつねのはなし
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/01/aie.html
高いワインほどおいしいと感じられてしまうハロー効果、占いがよく当たると思いこむバーナム効果、経験の強烈な部分と最後の部分が判断に影響を及ぼすピーク・エンドの法則など、私たちが陥りがちな認知バイアス=「脳の罠」とその回避法についてのエッセイ集。
各章のテーマを抜き出すと次のようにすごい数になる。それぞれについて、いかにもありがちなシーン説明から始まって、バイアスを生み出す脳科学や心理学的メカニズムの仮説とデータの裏づけが示される。
予言の自己成獣、ピーク・エンドの法則、コンコルドの誤謬、フレーミング効果、基準値の誤り、大数の法則、代表制のマジック、偶然に秩序をみる、原因と結果の相関関係、確実性効果、統計より感情、アンカリング効果、注意力の欠如、注意の焦点化効果、貴族のエラー、自己奉仕バイアス、集団の知恵、バーナム効果、フォールス・コンセンサス効果、群れ思考、集団思考、集団規範、他の集団への偏見、ハロー効果、自信過剰、願望的思考、後知恵、偽りの記憶、無意識のいたずら、順序効果、プランニングの誤り、欲深と尻すぼみ、明るい記憶、現状維持、先入観のトラップ、損失回避性、後悔の理論。
人間である以上は感情のバイアスは避けることができない。合理的な人とは、感情のない人ではなくて、感情のコントロールがうまくできる人であると著者は書いている。こうした効果や法則のことを、まずは知識として十分に知っていると強い武器になる。逆に、意図的に活用して、"だます"方に回ることだってできるだろう。
たとえば注意の焦点化について。
「アメリカのある男子学生たちに、次のような二つの質問をした。「毎日の暮らしのなかで、あなたはどれほど幸せですか?」と「先月は女の子と何回でかけましたか?」。質問がこの順序で示されたときには、二つの質問のあいだの相関関係はほとんどなかった。しかし女の子とのデートについて質問が先に示されたときには、相関関係が0.66にまで上昇した。」
アンケートの順序だけでも結果はある程度は操作できるのだ。私の経験でも、製品やイベントについてのアンケートの場合には、「どこがよかったですか?」の後に、全体評価を書いてもらうと、いい数字がでやすいという経験がある。ビジネスの都合上、クライアント報告向けに、アンケートで好評だったという結論がどうしても欲しい場合には、こういう質問順序をつくってしまうのが担当者の知恵といえるかもしれない。
ただの偶然に意味を見出そうとしてしまう脳のはたらきも要注意だ。
「私たちは周囲の出来事に、「秩序」や「規則」や「構造」などを見つけたがるが、そういったものはじつは、私たちの頭なかだけにあるものなのだ。 私たちが偶然とうまくつきあうのはたやすいことではない。単なる一致にすぎないことでも、冷静に受けとめることができないからだ。めったにないことが起こると、驚きのあまり、さまざまな解釈をするための論理も確率の法則も、忘れてしまうからである。」
これをうまく活用するのが現代のクロスメディアマーケティングといえるだろう。同時期に異なる媒体や経路で広告メッセージに接すると「これは今世の中で凄く流行っているのかな」とか「私が偶然に発見したのだ」なんて思い込みが形成される。
行動経済学の知識は消費者としては防衛手段であり、マーケティング担当者としては攻撃手段になる。どちらにせよ、読んでおくと為になる、かな。実に面白い読み物。
・お笑いの世界に学ぶ教師の話術―子どもとのコミュニケーションの力を10倍高めるために!!
「1980年代の荒れは、中学生たちが学校教師に暴力をふるい、校舎を壊すという非常にわかりやすいものでした。しかし、1990年代に火のついた学級崩壊は、小学生たちが先生の話を聞かずに、おしゃべりをし、立ち歩きを始めるという地味な荒れでした。教師がその対応に失敗してトラブルになることはありましたが、基本は私語とと離席という現象の発生でした」
飽きやすくなった子供たちには、わかりやすいだけではダメで、わかりやすさプラス「面白く」話す必要が出てきた。私語も禁じるのではなく、バスガイド嬢のように、私語が一杯の中でも、それを柔軟に対話に活かしながら、授業を進めるる姿勢が有効という。
そこで著者は、明石家さんまやビートたけし、みのもんたや島田紳助ら、テレビ番組で活躍するお笑い芸人や司会タレントの巧みな話術を研究して、教育の現場で使えるノウハウ集をつくった。
お笑いは「フリ」「オチ」「フォロー(つっこみ)」から成り立つ。「今まで教師は「オチ」を自分で担当しようとして失敗をしてきた。子供たちに「オチ」を担当させ、教師は「フリ」「フォロー(つっこみ)」を担当しよう」という路線である。脱線トーク、ツカミの技術、フリの技術、フォローの技術、キャラの技術、バラエティゲームなどにカテゴリ分けされて、ワザが紹介されていく。
たとえば「先生、その字間違ってますよ」と言われたら、板書している手をピタリと止める。手にはチョーク、体は黒板の方を向いたままである。数秒間、この体勢のままでいる。「先生、どうしたんですか?」という声が子どもから上がったら、黒板の字を何気なく消して、さらりと言う。「何かあったんですか?」」などという切り返しワザ。ミスに意地悪なツッコミを入れる学生は本音では先生に近づきたいので、先生側もちょっと意地悪なユーモアで切り返す。すると距離が縮まるというわけである。
基本は小・中学の教員向けなのだが、大学の授業や会社の新人研修、家庭での教育にも応用が効きそうなワザが満載である。いかに聴衆のアテンションを保ちながら、長い話を聞かせるかの技術論だから。
・winsupermaximize
http://code.google.com/p/winsupermaximize/
[Win] +[F11]キーをおすと、任意のウィンドウのアプリケーション画面からタイトルバーを消した形で、通常の最大化を超える最大化を実現するソフトウェア。ノートPCなどで少しでも画面を広く使いたいときに、この機能があると便利である。アプリケーション画面のスクリーンショットや印刷をとりたいとき、あと少し広く表示できるといいなあというときにも重宝しそうだ。
ところで私はこのソフトを調べる過程で、インターネットエクスプローラとFirefoxに標準である最大化機能のことをはじめて知った。何の追加ソフトを入れないでもよいのだが、とにかく両ブラウザで[F11]を押すと、ウィンドウの枠部分が全部とっぱらわれる。もう一度押すと戻る。
この機能、プレゼンで凄く便利じゃないか!。なんでこれまで知らなかったのだろう、みなさん知ってましたか?。
自分のパソコンがブルーレイ再生に対応しているかどうか、性能を診断するソフト。
私はブルーレイはPS3で再生しているのだが、それだとテレビでしか見ることが出来ない。パソコンでブルーレイのコンテンツを見たいし、DVDRに代わるデータ記録装置としても興味がある。でも、このパソコンにブルーレイを取り付けたらちゃんと動くのだろうか?。
この診断ソフトは以下のようなスペックを自己診断する。
CPU
CPUのハードウェアデコーダの有無
メモリ容量
OS
グラフィックカード
グラフィックカードドライバ
再生ソフト
ビデオ接続タイプ
満足な項目には青、不足な項目には赤がつく。「情報」をクリックすると、Webで詳細なアドバイス情報が読める。増設前にチェックしておくとよい。買ってきてから動きませんでしたという事態を防げる。
未来バンク理事長、ap bank監事の田中優氏が書いた環境教育論の小冊子。善意と無知が環境問題を間違った方向へ導こうとしていると指摘する。
・東京の純粋な家庭ゴミは一般廃棄物のうち27分の1に過ぎない
・純粋な家庭からの二酸化炭素排出量は全体の13.5%に過ぎない
・家庭の電気消費量は全体の4分の1、問題の夏場ピーク時の1割に過ぎない
・日本の二酸化炭素の半分は200の事業所から排出されている
いくら家庭で「みんなの心がけ」や「電気をたいせつに」したところで、環境問題は全然解決しないのである。
著者はこれまでの「身近なところから」式の環境教育に異論を唱える。
「環境教育が問題解決をめざすものであれば、全体像で、自分たちの位置をつかむことが重要だ。「やっぱりゴミは産業が出すものが圧倒的だから、こういう企業を変えていかなければなりませんね」という結論なら理解できるのだが、「やっぱり私たちのライフスタイルが大事ですね。心がけで地球を守りましょう。がんばれば不可能はありません」では、竹槍でB29爆撃機に立ち向かおうとした、どっかの国民のようではないか。」
大局を俯瞰するのは日本が歴史的に苦手とすることだ。もともとエネルギー効率の良い日本がCO2排出量を6%削減したところで、世界の排出量においては誤差の範囲程度の小さな規模に過ぎない、とか、そもそも地球温暖化は自然の周期であって人間の活動と無関係という説もある。現在推進されている環境問題の意識や環境教育の方向性は、政治経済のパワーゲームの産物であり、いま一度各自が見直す必要があるのだ。
善意が悪い影響を及ぼすケースもあるという。たとえばリサイクル品の輸出である。環境に優しく、困っている人を助ける援助にもなるはずだったこの行為が、被援助国では大迷惑となっているそうだ。
「その彼らにとって、日本でリサイクル品が余り、それが「援助」というような美しい言葉で送られてくることが最も怖いことだったのだ。実際に、駅前の放置自転車が大量に「援助」された国では自転車屋が破綻し、衣類や毛布が「援助」された国では工業化に向かう最初のステップである繊維産業が破綻した。「援助」で安く輸出することは、その国の同業種を破綻させるのだ。」
環境問題は複雑な社会や科学の問題であり、何が本当なのかは現段階ではわからない部分が多い。しかし、今起きていることをのうち、明らかに間違っていることや、無意味なことを再考していくことはできる。昨今の環境異論反論本はそうしたオルタナティブ視点を提供してくれるので有益と思う。
「たった一つの巨大な解決策」ではなく30万人規模のコミュニティで内部の問題を解決していくような分散的な解決の枠組みが必要などの著者の提言もあった。これはよさそうだな。
・足もとの自然から始めよう
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-939.html
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3月22日に超環境イベントをやります。参加者受付中です。よろしくお願いします。
ネットコミュニティ「オーバルリンク」が、今年も公開トークライブを開催します。今年のテーマは"ハイパーグリーン"。私はこの団体の理事なのですが、第一部に出演することになりました。情報問題と環境問題に関心のある方のご参加をお待ちしております。
■オーバルリンク公開トークライブ2009
http://blog.ovallink.jp/index.html
増殖する[緑]の覇権を撃て!
『 HYPER GREEN 』
複雑系のインターネットから生態系の未来へ
from the internet as complex system to the earth as cybernetic organism
HYPER GREENは、単にトレンド的な環境保全を示すキーワードではない。
これは、情報環境から政治経済の施策までをも含む包括した視座から今問われる
「GREEN」の本質を語ることで、思考停止のエコロジー気分を超える試み。
■開催日時
2009年3月22日(日) 14時~
■場所
スタジアムプレイス青山イベントホール
http://www.visioncenter.jp/aoyama/access/index.html
■構成
Session1:『情報環境からの創発』橋本大也+上田壮一(出演調整中)
Session2:『環境問題の問題』池田清彦+橋本大也
Session3:『運動する緑』ハセベケン+池田清彦
Session4:『生活を再考する』上田壮一(出演調整中)+ハセベケン
オーガナイズ:前田邦宏+久野木吉蔵
18:00から懇親会を開きます。
■話題提供者
橋本大也(データセクション株式会社 代表/オーバルリンク 理事)
http://www.datasection.co.jp/
http://www.ringolab.com/note/daiya/
池田清彦(早稲田大学国際教養学部 教授)
http://www.waseda.jp/sils/jp/about/faculty/ikeda_kiyohiko.html
ハセベケン(渋谷区議会 議員)
http://www.hasebeken.net/index.html
上田壮一(Think the Earthプロジェクト プロデューサー/スペースポート代
表)=出演調整中
http://www.thinktheearth.net/jp/about/aboutus.html
http://www.spaceport.co.jp/index_j.html
■参加費(当日、会場でお支払ください)
5000円(オーバルリンク会員は3000円)
懇親会:3000円
※オーバルリンク会員ではない方で懇親会まで参加された方は、オーバルリンク
の入会金4000円を免除させていただきます。
■お申し込み : 下記あてメールでお申し込みください。
info08@ovallink.jp
荒木 経惟 +町田 康。1999年のコラボレーション作品。昨年に文庫化されて知ったが、これはサイズの大きな単行本の方で読むべき。町田の小説にアラーキーの写真で構成されている。半分写真集だから。
その創作経緯がユニーク。
「俺は過去の不始末のカタをつけるために南へ向かった...。大阪の街を彷徨う町田康を主演に荒木経惟が濃密な写真を撮り下ろし、その写真からインスパイアされた町田康がスリリングな小説を書き下ろした。イメージが膨らみ、物語が錯綜する。写真界、文学界の天才二人がディープにセッションした写真・小説の最高のコラボレーション。 」
おおざっぱな設定で写真を撮って、さらにその写真から、物語のディティールをふくらます。町田は内面のつぶやきを偏執的に綴っていくのが得意な(そればかりな)作家であるが、アラーキーのムードある(ヌードもある)写真と組み合わされることで、濃密な世界観が生み出されている。
写真から物語を創作するという方法は素人でも創発しやすそうだ。今ならFlickrみたいな写真共有サイト上で試されても面白いかもしれない。写真+テキストでインタラクティブなアドベンチャーゲームに仕上げることもできるだろう。
それにしても町田は結構な男前なのであった。いかにも物語を背負っていそうな雰囲気。なぜかアラーキー自身も一緒に写っていたりする(物語には出てこないのだが)。作者二人の遊び感覚も感じられるが、実験作品には終わらない小説部分の完成度の高さがある。この二人は写真→小説→写真のコラボを繰り返して映画でも撮ったら面白そうだ。
・東京人生SINCE1962
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/07/since1962.html
・宿屋めぐり
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-828.html
・告白
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/10/post-474.html
・フォトグラフール - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-745.html
・土間の四十八滝 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-733.html
どういう発想や見方、取り組み方があるのか。新しい映像を作りたい人たちのための映像文化論。Q&Aを中心にアイデアフラッシュ(コラム)、作品紹介、作家ファイルなど混在形式で一見雑然としているが、10人のクリエイターや評論家がこれぞというネタを圧縮して詰め込んでいるので、全体として非常に濃い内容になっている。最先端の映像クリエイティブのデータブックとしても使える。
「年間三万人も自殺する戦場のような日本をどう撮りますか?」
「ショートムーヴィーはなぜ流行るのですか?」
「ストリーミング配信・インタラクティブスタイルの未来形は?」
「映画コンクールに入選するにはどうしたらいいですか?」
「撮影中の偶然の出来事をどう受け止めたらいいですか?」
といった質問に対して、回答者が自身の経験や最新の話題を絡めながら答えていく。
クリエイターが語る映像論がいい。熱い。たとえばどういう創作動機があるべきか。
「映像を撮ろうと思うとき、動機に正しいも間違いもありません。撮りたい衝動に掻き立てられたならば、その気持ちに従ってキャメラを回せばいいと思います。しかし、大事なことは、撮り手自身がその衝動を生み出した原因に自覚的になり、どの程度の「執着」と「執念」を見いだせるかが最も重要です。それが同時に対象へのアプローチの仕方へと繋がっていきます。 動機というのはしばしば過去の喪失体験から生まれ、それを自らの意志で明確にしないといけません。」
強い動機をつくりだすには自分の暗部、喪失体験、抑圧体験と向き合えという。ダメな自分を徹底的に客観化、具体化し、自分と他者との関係性の本質を見出すことができたとき、「撮りたい」が「撮らざるを得ない」になって、創作の有効な武器になる。これは映像に限らずあらゆる創造行為、表現行為に通じることのように思った。
映像のモチーフは発明しない、発見しろと教えている回答者もいる。まったく新しいもの、自分だけのものは、誰にも理解されない。表現者は思いを社会的な価値観や共通の言葉に落とし込んで、それが誰にで伝わるようにする必要がある。
「新聞の三面記事や、テレビのワイドショー、ニュースなどを注意深く見ていれば、必ず自分が興味を魅かれる事件に突き当たるはずです。そこで、なぜ、その事件に魅かれたのかを考えてみるのです。その事件の求心力がどういうものであるかを分析し、さらに、その求心力がこれから作ろうとしている映画の求心力となりうるかどうかを検討するのです。」
インターネットをよく使う人は、自分が検索エンジンに入力したキーワード履歴や、アマゾンのお買い物履歴、ソーシャルブックマークに残したタグなどを見ると、自分の関心が具体的に見えてきたりするものだ。テクノロジーは世界を見るだけでなく、内面を見つめ直すのにも使えるように思う。
この本にはスウェーデッド・フィルム(短編パロディ自作)、ノリウッド(ナイジェリアの映画)、ライブビデオソフトのVVVVなど、トレンドやテクノロジーの先端的なキーワードがたくさん紹介されている。学生向けに編まれているように見えて、入門には終わらない。とても満足。
掘り出し物が多い東京都写真美術館のショップで発見した一冊。
凄く面白い。これまでスルーされてきた日本文化の本質を見事に突いた気がする。微妙なテーマであり、勇気ある研究フォロワーがどのくらい続くのかが気になるところだが。
五十嵐太郎、宮台真司、都築響一、永江朗ら気鋭の論客達が日本の「ヤンキー文化」を真面目に論じた論文集。多くの論者が自分はヤンキー体質ではなくて恐縮だがと前置きをしてから話を始めるのが特徴的である。
横浜銀蝿、BOOWY、矢沢永吉、つんく、SPEED、安室奈美恵、ヒップホップ、工藤静香、浜崎あゆみ、ケータイ小説、暴走族、気志團、YOSHIKI、DJ OZMA、祭り...。日本文化の底流に流れる不良的な要素を大衆は愛する。地域の祭りも元ヤンキーの大人達が取り仕切る。
「日本人の三大気質はヤンキー、ミーハー、オタクである」とナンシー関は言ったそうだが、このうちカルチャーの"ミーハー"と、サブカルの"オタク"は研究が進んでいる。それに対してヤンキーはどうか?。
「本来が不良社会のものであるヤンキー文化は必然的にその担い手が社会の下層に集中してしまうので、「知識人」としての評論家や研究者が生まれてくる余地がなかったのだ。」(暮沢剛巳)
「すなわちモノを言わない大衆である。日本の地方を下支えする文化なのかも知れない。彼らは上京するよりも、地方に根づく。そして良きパパ、ママとなる。筆者の個人的体験から言っても、地方から東京に移り、学歴が上にいくほど、まわりのヤンキー濃度は確実に減っていった。おそらく上京した研究者からは、かつて隣にあったおぞましいものとして無視されている。東京のメディアから情報発信することがない文化。これは見過ごされ、抑圧された日本精神の無意識である。したがって、ヤンキーを考えることは東京なき日本論につながるかもしれない。」(五十嵐太郎)
構造的にメディアの代弁者を持たず、インテリによる社会学の研究対象からも敢えてはずされてきた。だが彼らは分母としては巨大だ。ナンシー関は日本人の5割がヤンキー的なものを必要としていると推定した。「成熟と洗練の拒否」「体制への反抗・地域への順応」「民衆のゴシック」であるヤンキーは実は日本のサイレントマジョリティなのである。
「茶髪狩りのエピソードが示すように、ヤンキーはルールが嫌いといいながら、実際はルールが大好きである。集会の様式にもこだわるし、上下関係にも厳しい。先輩がいうことには絶対服従である。シンボルをとても大事にする。日の丸なんかも好きだし(日の丸が好きなのにYankeeとは)。また他人がルールを守らないことについては不寛容である。他人のことなんかどうでもいい、とはけっしていわない。」(永江朗)
そういわれてみればヤンキー的な生き方は実にオーソドックスな日本人的な生き方なのだ。であるがゆえに、日本では、品がない俗っぽい要素を効果的に取り込むことが大衆に受けるコツなのだ。彼らこそマスである。政治や選挙活動のスタイルがいつまでたっても"ベタ"な印象が強いのも、大衆がヤンキー的なものにひかれるからなのかもしれない。
マスに受けるものってなんだろうなと考える材料としてとても興味深い本だった。
ネットコミュニティ「オーバルリンク」が、今年も公開トークライブを開催します。今年のテーマは"ハイパーグリーン"。私はこの団体の理事なのですが、第一部に出演することになりました。情報問題と環境問題に関心のある方のご参加をお待ちしております。
■オーバルリンク公開トークライブ2009
http://www.ovallink.jp/hypergreen/
増殖する[緑]の覇権を撃て!
『 HYPER GREEN 』
複雑系のインターネットから生態系の未来へ
from the internet as complex system to the earth as cybernetic organism
HYPER GREENは、単にトレンド的な環境保全を示すキーワードではない。
これは、情報環境から政治経済の施策までをも含む包括した視座から今問われる
「GREEN」の本質を語ることで、思考停止のエコロジー気分を超える試み。
■開催日時
2009年3月22日(日) 14時~
■場所
スタジアムプレイス青山イベントホール
http://www.visioncenter.jp/aoyama/access/index.html
■構成
Session1:『情報環境からの創発』橋本大也+上田壮一(出演調整中)
Session2:『環境問題の問題』池田清彦+橋本大也
Session3:『運動する緑』ハセベケン+池田清彦
Session4:『生活を再考する』上田壮一(出演調整中)+ハセベケン
オーガナイズ:前田邦宏+久野木吉蔵
18:00から懇親会を開きます。
■話題提供者
橋本大也(データセクション株式会社 代表/オーバルリンク 理事)
http://www.datasection.co.jp/
http://www.ringolab.com/note/daiya/
池田清彦(早稲田大学国際教養学部 教授)
http://www.waseda.jp/sils/jp/about/faculty/ikeda_kiyohiko.html
ハセベケン(渋谷区議会 議員)
http://www.hasebeken.net/index.html
上田壮一(Think the Earthプロジェクト プロデューサー/スペースポート代
表)=出演調整中
http://www.thinktheearth.net/jp/about/aboutus.html
http://www.spaceport.co.jp/index_j.html
■参加費(当日、会場でお支払ください)
5000円(オーバルリンク会員は3000円)
懇親会:3000円
※オーバルリンク会員ではない方で懇親会まで参加された方は、オーバルリンク
の入会金4000円を免除させていただきます。
■お申し込み : 下記あてメールでお申し込みください。
info08@ovallink.jp
細く優しいタッチの絵柄で人間のカルマを描く漫画。
富士山の神様は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)だ。この美しい女神は天皇の祖先であるニニギノミコトと結婚するのだが、婚約時にサクヤヒメの実家からは姉のイワナガヒメもセットで送られてきた。サクヤヒメの父、オオヤマツミは、見所のある若者ニニギノミコトに娘二人とも妻にせよ、というつもりだったのだ。
ところがイワナガヒメがあまりに醜かったのでニニギノミコトは実家へ送り返してしまった。するとオオヤマツミは「イワナガヒメを娶れば岩のように永遠の生命が約束されたのに。おまえはコノハナサクヤヒメだけを選んだ。おまえとその子孫の命は儚いものになるだろう。」と言った。それ以来、人間の寿命は短いものになってしまった、そうだ。
人身事故を経験した電車の運転手と飛び込みそうな女の「中央線」、青木ヶ原樹海で自殺しようとする女二人の「樹海」、35年前の飛行機の墜落事故をめぐる悲しい男女の「乱気流」など、救いようのない人間の業を描く短編が7編。背景や舞台に必ず霊峰富士山がでてくる。文学作品的な厚みと深みのある内容。
カルマつながりというか、この本と同時にこれも読んだ。
映画「自殺サークル」の漫画化だそうだが、原作者の意向で映画とはまったく違う話になっているそうだ。大勢の女子高生達がホームで手をつなぎ一列になって「いっせーのせっ」で電車に飛び込み自殺する衝撃シーンから始まる。たったひとり生き残った少女のまわりに次第に寂しい少女達が集まり始める。都市伝説ホラーの秀作。
・タスクトレイに天気予報
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/edu/se394124.html
私は実は天気を気にする。昔から天気予報は携帯の有料サービスに入っている。毎朝送られてくるメールで当日の天気をチェックする。週間予報も気になってしょうがない方だ。PCのデスクトップでいい天気予報サービスを探していたが、これは秀逸。タスクトレイに収まってしまう具合がよい。
最初に地域を設定するとtenki.jpまたはYAHOO!天気から情報を取得してデスクトップに表示する。タスクトレイには現在か今日か明日の天気をアイコン表示させることができる。。これだと外の天気がわかりにくいビルの中で働いていても大丈夫だ。デスクトップには今日の予報や週間予報を表示させる。
デザインはたくさんプリセットがあって切り替えを楽しめる。
「「弟を殺そう」―身長195cm、体重105kgという異形な巨体を持つ小学生の雷太。その暴力に脅える長兄の利一と次兄の祐太は、弟の殺害を計画した。だが圧倒的な体力差に為すすべもない二人は、父親までも蹂躙されるにいたり、村のはずれに棲むある男たちに依頼することにした。グロテスクな容貌を持つ彼らは何者なのか?そして待ち受ける凄絶な運命とは...。第15回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した衝撃の問題作。
」
おぞましい。グロテスク。不気味。残忍。悪趣味。しかし読み始めたら止まらない暗い魅力がある。
河童が主要登場キャラとしてでてくるが、この妖怪の描き方が昔話や伝説に出てくる河童とかなりずれている。ぐにゃりとした体つきで低知能で兇暴な性格。怒りだしたら何をするかわからない。想定外の要素に満ちた河童。正体がわかっている恐怖よりも、得体の知れないもの、異形のもののほうが底なしに恐ろしい。明らかに人間ではないのに話が通じる(しかし感情や常識は共有していない)ところがこの河童の不気味な怖さの理由なのかもしれない。
"髑髏"という薬物を使って精神を破壊していく究極の拷問のくだりも強烈に記憶に残った。この作家は人間の嫌悪感のツボというものを知り尽くしているなあと感心する。心身共に切り刻むような内容だ。そして物語は昭和のムラ社会の閉塞世界に、エログロでえげつない登場人物ばかりがでてくる。嫌だなあと生理的に感じながらも、冒頭から転がり落ちるようなテンポとエスカレートする状況に怖いものみたさの心が惹きつけられてしまう。
とにかくホラー好きは読むべきだ。傑作と思う。特に「姉飼」や「独白するユニバーサル横メルカトル」が好きな人におすすめ。
・姉飼
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/12/zoz.html
・独白するユニバーサル横メルカトル
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/10/post-472.html
成果主義を超えて「知識創造型人事異動」を考える新書。
私にとっては未知の領域、大企業の人事制度について勉強したくて読んだ。新書一冊に現状や問題点が整理されていてわかりやすい。著者が20年間在籍した日産ほか企業の事例も豊富である。
この本では知識創造の一般原理SECIプロセスを組み込んだ人事の考え方が示される。社員の持つ暗黙知と形式知を、共同化→表出化→連結化→内面化という知識創造プロセスの中で拡大再生産していくことを目指す。
・知識経営のすすめ―ナレッジマネジメントとその時代
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/06/post-102.html
SECIプロセスについて。
いかに社員に貴重な体験、質の高い体験、インパクトのある「原体験」をさせるか、が大切という。「高質な原体験や修羅場体験を通じて、強烈な暗黙知を持つ社員を数多く育てることができれば、社内の知識創造のプロセスは非常に濃いものになっていく。」。海外拠点への出向、会社設立、リストラ、合弁事業、難易度が高いプロジェクトへの参加などが強烈な原体験の例として取り上げられている。
こうした強烈な原体験というのはベンチャー企業では頻繁に体験できるものである。だが、ベンチャー企業には強烈な体験はあるが中長期の人事制度がないという問題がある。
「特にベンチャー企業では、長期にかかる目標を立てるだけの事業基盤や事業概要が固まっていない場合も多いだろう。変化の激しい業界では、市場の伸び率や競合他社の動きなど、前提条件自体が短期間で変わってしまうことも少なくない。また、受注型のビジネス、コンサルティング業、出版社の編集部、デザイナーなど、知を扱う比重の大きい職種においては、目標を立てようにも確たる根拠の設定が本来的に難しいことが多い。」
これがまったくその通りで、大企業は20年や30年の人事計画を想定しているが、ベンチャーでは5年、10年後に会社が存続しているかというレベルから不確実である。中長期の人事制度が組めないとしても、それなりに人数が増えてくると制度がないわけにもいかないのが困ったところでもある。著者はベンチャーには「チャレンジ主義」の人事制度を薦めている。社員に挑戦を宣言させてその難易度や貢献度を上司と話し合いチャレンジ度を評価するというもの。目標設定が安易に達成できるレベルになりがちなMBO方式よりも有益かもしれない。
人事制度をつくる側、使う側の両者にとって明るい人事とは何かを考えるのによい本だ。
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ところで、著者の徳岡先生、紺野先生と私は昨年、多摩大学知識リーダーシップ綜合研究所を設立しました。知識創造型の企業を、「人材マネジメント」と「リーダーシップ開発」に焦点を当てて研究する機関です。セミナーや研修も請け負っています。お問い合わせ下さい。
・多摩大学知識リーダーシップ綜合研究所
http://www.ikls.org/
二人の学者が神話と昔話の分析によって日本人ならではの罪悪感について考察する。
著者は日本神話と昔話に特徴的な「見るなの禁止」とそれに伴う罪と恥の意識に注目した。
たとえば「鶴の恩返し」では女が鶴の姿になって機織りをしている姿を、見るなと言われていた男がのぞいてしまう。古事記では死んでしまった妻イザナミを迎えに夫のイザナキが根の国を訪れるが、のぞくなと言われていたのに妻の腐敗した醜悪な姿を見てしまう。男が見るなの禁止を破ると女をはずかしめ傷つけることになり女が去っていく。
「「愛しい」の語源は「痛しい」だと言うが、愛する者が、私たちのために死んだ、あるいは傷ついたとすれば、それはじつに痛いことである。私は、国々や神々を産んで死んだイザナミとは、男性的自我にそういう痛い罪意識をひきだす存在であり、人間のために殺されたキリストに匹敵するものだと思う。ゆえに、この罪は「原罪」と呼ぶに相応しいし、イザナキのみそぎはそれを取り消そうとしていることになる。」
豊かで美しい対象を求め侵入していく欲望が対象を傷つけ破壊してしまったことに対する罪悪感が日本人の原罪意識なのだという主張だ。対象喪失の悲劇と痛みを共有する課題として持つが、そうした感情をどう処理するかには文化的、宗教的な違いが大きく現れる。人間が罰せられるキリスト教の原罪パターンとは異なり、どの話でもタブーを破った側が罪に問われたり、罰せられることことはない構造になっている。
見るな、語るなで当面の秩序を維持していることへの後ろめたさ。
きれいごと、見て見ぬふり、臭い物に蓋、言わぬが花。見るなの禁止は深刻な問題を掘り下げず表面的な安定を継続する知恵であると同時に、差別感情の共謀にまでつながっていく。そうした状況では、見るなの禁を破ることは人間社会の秩序を守る方法として機能すると著者が指摘している。こうした構造で生み出される原罪意識を「心の台本」として持ち繰り返してきたのが日本人であるらしい。
原罪というのはキリスト教独特の考え方だと思っていたが、文化によって異なる原罪意識がありえるのかもしれないと納得させられた。
ゲームソフトと業界の歴史を裏話でたどる。
1983年にファミコンが発売されてから四半世紀。ゲームの世界には数々の伝説が生まれていった。
たとえば、
・ゼビウスで「バキュラに弾を256発撃ち込むと破壊することができる」
やったなあ、これは。時間的にもできるわけないのだが頑張った。破壊できないことが遠藤雅伸氏によって正式に否定されているとはじめて知った。しかも大変ロジカルに。
・【ゼビウス】バキュラは256発当てると破壊できる?
http://ameblo.jp/evezoo/entry-10105919686.html
遠藤氏のブログ。
・小説 ゼビウス―ファードラウト サーガ (fukkan.com) (単行本) 遠藤 雅伸 (著)
ゼビウスは遠藤氏ご本人が小説も書いている。おどろき。
・「ドラゴンクエスト」復活の呪文に「すくうえあとえにつくすがつへいするまぢね」()スクエアとエニックス合併するマジね)と入力すると勇者がレベル22で貴重なアイテムを持った状態でゲーム開始できる。
これは偶然とはいえ奇跡。
・開発者の恨みつらみが隠しメッセージに潜む「えりかとさとるの夢冒険」
とまあこういう伝説や噂の紹介や検証の話が87本。
インターネットがなかった90年代前半までの時代の方が、こうしたユーザー同士の情報交換や伝説話が盛り上がっていたなあと思う。スーパーマリオブラザーズ、カラテカ、スペランカー、魔界村、ミシシッピー殺人事件、たけしの挑戦状、リンクの冒険...。昔のゲームはバグや開発者の盲点を突いたハード的なハック(といってもカセットを半端に刺すとかだが)を見つけること自体が楽しみ方だった。
裏技がネット検索で容易に見つかり、しかも、その裏技はそもそもメーカーが露見することを想定して盛り込んだ機能だったりする現代では、この本に紹介されているような面白さが消えてしまっている。
昔話の本であるが、ゲーム業界に進みたい学生も読んでおいたら良いかも。オヤジに話が合わせられるから。
・聖なるもの―神的なものの観念における非合理的なもの、および合理的なものとそれとの関係について
長いタイトル...。
何かを「聖なるもの」と認識するときの"ヌミノーゼ"な感情についての論考。1917年にドイツの宗教学者ルドルフ・オットーによって書かれた宗教学の古典。ヌミノーゼはヌーメン(神性、神霊)という言葉から作られた造語。
ヌミノーゼは複合的な感覚だ。
・被造物感(絶対的なものの前にして感じる絶対依存感)
・畏るべき神秘
-優越するもの
-エネルギッシュなもの
-全く他のもの
・魅惑するもの
・不気味なもの
などの感覚が混ざっていると分析されている。
「私達たちは畏れつつ聖所を敬うが、そこから逃げようとはしないで、かえって中に入ろうとする。」とルターが言ったように、神様に対する私達の感情はアンビバレントなものだ。
私は平均的日本人の無宗教(敢えていえば仏教か)なのだが、キリスト教的なヌミノーゼの感覚はわからないでもない。私はカトリックの幼稚園に通ったが、その入り口にあった純白のマリア像が、怖くてたまらなかった。シスターや保母らに「いつでも神様がみていらっしゃるのですよ」と教え込まれた。それは悪い人間を罰すると同時に真善美の象徴だった。
ヌミノーゼの感覚能力は経験によって誘発されるが、経験に先立つアプリオリなものだと著者は考える。言語学においてチョムスキーが主張する先天的な言語能力と同じように、ヌミノーゼの感覚能力は原初的なものだとする。人間は自然の驚異に対して神的・デーモン的な畏怖を感じることによって、生き延びてくることができた種であるのかもしれない。
そして本書は「聖なるもの」の非合理的な部分と合理的な部分に関する考察である。いくつかの心理的な要素で説明しようとしているが、同時に著者はヌミノーゼなものは完全に要素に還元できるものではないと論じている。宗教は心理学や社会関係で説明できるものではなく、宗教以外の何者でもないというのである。
「宗教において非合理的な要素がいつでも活発で、生気があることは、合理主義を防ぐ備えがあることである。宗教が合理的な要素で豊かに満ちていることは、狂信や神秘狂(Mysizismus)に沈み込んだり、それに固執することを防ぎ、高級宗教、文化宗教、もしくは人類宗教になることを初めて保証する。」
だからキリスト教は偉大なのだというオチに落ち着く。
宗教はいろいろあるが根本はこのヌミノーゼの感覚にあると思う。その根深さ、複雑さが現代世界の争いに繋がっているのだとすれば、この古典は今また読まれるべき本な気がする。
ザク(ZAKU II)、旧ザク、ザクII改、ザクキャノン、ザクタンク、ハイザック、ザクIII、ギラ・ドーガ、ザクウォーリア、ザクファントム、ザクキャノン、アウトザク、ザク満里奈ー、ディザートザク、アイザック、ボルジャーノン......。「ガンダム」シリーズに登場するモビルスーツ ザクの全バリエーションをマニアックに追究した大辞典。カラーでビジュアル資料が満載。
機動戦士ガンダム、Z、ZZ、逆襲のシャア、0080、0083、08MS小隊、MS IGLOOを実際に全話見て、機体名称、出現数、撃墜数、残骸数、やられ技などを集計したデータベース「ザク登場&撃破シーン一覧」が素晴らしい。ザク全登場数1022機、総撃墜数205機の徹底分析。ザクだけに注目してガンダムシリーズを見るべく作成された「ザク栄枯盛衰年表」、「ザク関連用語辞典」も圧巻。
ザク=雑魚の印象が強いが、リアルミリタリー兵器感のザクがいなければガンダムの魅力が半減してしまうのも事実。こうしてザク本は出たが、ドム本やゲルググ本は出ないだろう。私は小学校時代に並んで買ったガンプラ「量産型ザク 1/144」「旧ザク 1/144」を未開封で保有している。ごく初期の足首が動かないモデルだ。うふふ。
印象的な動力パイプ。あれは何なのか。中は何か気体や液体が流れているのか?それとも配線?。「各駆動部への動力を伝達するパイプ」だそうだが、それだけじゃわからない。2ちゃんねるにも古いスレが立っていた。
・動力パイプの謎・謎・謎
http://ebi.2ch.net/shar/kako/966/966903460.html
「あんなの飾りです。 偉い人にはわからんのですよ。 」っていうのがガンダムっぽくて名答でしたけどね。
この本では「旧ザクではすべて機体内部に収められている。その影響による機体稼働時間の短さや開発拡張性の悪さを改善するため、ザクIIではパイプ類を外部に配置したのである。」なんていうことも分かる。
・機動戦士ガンダムモビルスーツバリエーション 1 ザク編 復刻 (1)
ザク三昧本としてはこれも良かった。
・MG 1/100 ズゴック MSM-07と愛蔵版 機動戦士ガンダム THE ORIGIN IV ジャブロー編
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/mg-1100-msm07-the-origin-iv.html
・HGUC 1/144 MSM-10 ゾックと機動戦士ガンダムTHE ORIGIN
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/02/hguc-1144-msm10-the-origin.html
・機動戦士ガンダム THE ORIGIN、MGアッガイ、ターゲット イン サイト
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/01/the-originmg.html
・ガンプラ・パッケージアートコレクション
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-820.html
・俺たちのガンダム・ビジネス
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-662.html
・ガンダム・モデル進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003091.html
・ザクII
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AFII
Wikipediaも大変詳しい。
・よみがえる自作朗読の世界~北原白秋、与謝野晶子、堀口大學ほか
本人出演!?に衝動買い。
北原白秋、与謝野晶子、坪内逍遙、萩原朔太郎、室生犀星、斎藤茂吉、土岐善麿、高浜虚子、堀口大学...文学史上の有名作家達が、自作を自身の声で読み上げる。昭和12年からの録音CD。
明治の印象のある人も多いので、まず録音が残っていて、本人の肉声が聴けるということが驚きである。SP原盤を音源としているため録音状態はよくはないが、明治~昭和初期に活躍した作家達の雰囲気がよく伝わってくる。
意外なことに、妙に甲高い声だったり、滑舌が悪かったり、抑揚に欠けた声が多い。与謝野晶子の読み上げる和歌がおそろしく無表情なことに驚かされる。北原白秋は妙な節回しがはいる。萩原朔太郎は無感情棒読み。プロの朗読者の仕事と比べると、素人の仕事のように思える声が混ざっている。作家自身は声の専門家ではないから当然なのかもしれないが、朗読には感情表現を入れない時代だったということなのかもしれない。
例外として堀口大学は比較的上手だ。なにより坪内逍遙の朗読は演劇的でその気迫に圧倒される。
これらの肉声が伝えるのは、作品のメッセージではなく、著者自身がどういう人だったのか、という情報である。歴史上の大作家達の人間らしさに気づく。文学を深く味わうための材料として補助教材に有効だと思った。
1. 思ひ出 / 北原白秋
2. 汐首岬・邪宗門秘曲 / 北原白秋
3. トラピストの牛・渚 北原白秋
4. 鴨 北原白秋
5. ハムレット生死疑問独白の場 / 坪内逍遥
6. 源氏物語 / 与謝野晶子
7. 昨日より / 与謝野晶子
8. 乃木坂倶楽部・火・沼沢地方 / 萩原朔太郎
9. こころ・足羽川 / 室生犀星
10. 旅・建設・客人 / 川路柳虹
11. ゆふされば / 斎藤茂吉
12. ほのかにも / 釈 迢空
13. 落花の雪 / 土岐善麿
14. 中辺路懐古 / 高浜虚子
15. 塔影 / 河井酔茗
16. 秋の夕・気候・キュピドの矢 / 堀口大學
17. 寧楽の第一夜 / 西條八十
続編も発売された。
一般に最低限必要と思われる生活費の水準を貧困線と呼ぶ。OECDの計算では日本の貧困線は一人暮らしなら約150万円、二人家族212万円、三人家族259万円、四人家族300万円。日本の貧困率は14.9%。現代日本では7人に1人くらいが貧困層に所属しているそうだ。特に若者と単身女性の貧困が目立つ。一億層中流という前提はとっくに崩れ去っている。
この本に引用されている「民間サラリーマンの給与階級別人数分布」によると、21世紀になって年収500万円から1000万円の中流サラリーマンが急減し、300万円未満の層が激増している。伝統的な労働者階級の収入に満たない「アンダークラス」層が就業者全体の22.1%をも占めるようになった。一方、資本家階級とホワイトカラーのエリート層は接近している。かつての総中流層が上下に引き裂かれた形である。
この格差拡大から利益を得るのは3割の資本家階級+新中間階級の層だ。そして格差は固定化に向かっている。統計的には、資本家階級を親に持つ子供は資本家階級になり、労働者階級を親に持つ子供は労働者階級にとどまる傾向が顕著だ。資本家階級生まれはそうでない人の9.8倍も資本家階級に所属しやすいという計算が紹介されている。
格差の固定は男だけでなく女もそうである。
「資本家階級の父親をもつ女性は、15.8%までが夫も資本家階級になっているが、この比率は他の女性では4~7%程度にすぎない。庶民の娘が、資本家階級の息子と結婚することによって豊かな結婚生活を送るという、いわゆる「玉の輿結婚」の可能性は、かなり小さいと考えた方が良い。」
玉の輿というのは20人に1人くらいなわけだ。
こうして固定された階級が男女の独身率や出生率、平均寿命に強く影響する。貧しい層は独身が多くて、子供を作れず、短命であるという厳しい現実が統計数字で示されている。例えば所得800万円以上の男性の独身率は6%だが100万円未満では55.4%が独身である。女性の場合は結婚しないでいると貧困に陥る傾向が見られる。
著者はこうした格差拡大は政府や財界が「機会の平等」を推し進めすぎた結果だと指摘する。一見、民主的で公平なスローガンだが、能力競争を勝ち抜くために必要な教育を受ける機会は親の世代の経済力に左右される。東大生の親は上位の階級ばかりというような現実がある。門は開かれていても労働者階級が上位の階級にあがることは困難になっている。
著者は格差拡大に対して、最低賃金の引き下げ、ワークシェアリング、生活保護制度拡充、金融資産への課税、相続税最高100%まで大幅引き上げ、教育機会の平等化などの施策を示している。
格差の大きさを表す指標のジニ係数値をみると日本は先進諸国中では米国、イタリア、英国に次ぐ比較的大きな格差の国になってしまった。スウェーデン、オランダ、フランスなどは格差が小さく、貧困率が少ない。経済の活力である「機会の平等」を維持しながらも、格差を縮めていく努力を、経済力では下位の国でも社会的には豊かな国に、日本は学ぶ必要があるような気がする。
「生物と無生物のあいだ」の分子生物学者 福岡伸一氏の科学読み物。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という主題周辺でエッセイが8章。
人は毎日カツ丼ばかり食べているとカツ丼になってしまう、わけではない。だがカツ丼を構成している分子は、身体の構成分子と交換されてしばらく一部となり、やがて外へ抜けていく。分子は入れ替わるがシステムは維持される。こうした分子の流れ、動的な平衡状態こそ生命の本質なのだということをルドルフ・シェーンハイマーという科学者が1930年代に突き止めていた。
「個体は感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかないのである。」
流れであり平衡状態であるという見方は、東洋医学的な見方でもあるなと思う。患部を部分的に治療するのではなく全体を整えることで、治る。生物の構造はDNA設計図をもとに複製された大量のミクロ部品から構成される複雑な機械という側面もあるが、生きている生命にはそうした構造に還元できない現象も多い。
「ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。 そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。」
つまり生命とは絶え間ない水流が作り出す渦巻きみたいなものということだ。水が勢いよく流れている間は実体であるかのように立ち現れるが、基盤は流れる水分子に過ぎない。こうした生命の動的平衡の特徴的な性質について面白い説明が続く。たとえばシグモイド・カーブの話。
「生命現象を含む自然界の仕組みの多くは、比例関係=線形性を保っていない。非線形性を取っている。自然界のインプットとアウトプットの関係は多くの場合、Sの字を左右に引き伸ばしたような、シグモイド・カーブという非線形性をとるのである。」
音量ボリュームのダイヤルを回すと最初は音がいきなり大きくなったように聞こえるが、あるレベルを超えるとさらに回しても大きな音は大きな音に過ぎなくなる。インプットとアウトプットの関係が比例関係でなく鈍ー敏ー鈍という変化をするものだそうだ。インプットが小さい領域では立ち上がりが低い。高い領域では高い。これなどはビジネスマンがサービスやインタフェースの設計に何か応用できそうな話である。
最新の分子生物学の成果を一般人向けのわかりやすいエッセイとして読めて楽しい。
・生物と無生物のあいだ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/07/post-598.html
2007年サントリー学芸賞受賞。
「友を助けるため、主君へ諌言をした近習の村上助之丞。蟄居を命ぜられ、ただ時の過ぎる日々を生きていたが、ある日、友の妹で妻にとも思っていた弥生が、頼れる者もない不幸な境遇にあると耳にし―「五年の梅」。表題作の他、病の夫を抱えた小間物屋の内儀、結婚を二度もしくじった末に小禄の下士に嫁いだ女など、人生に追われる市井の人々の転機を鮮やかに描く。生きる力が湧く全五篇。」
いかにも山本周五郎賞受賞作品らしい人情味あふれる時代小説短編集。5作品とも絶品。
小心な男が女を連れて逃げる「後瀬の花」と愛想を尽かして逃げた妻と残されたダメ人間の夫の「小田原鰹」が特に良かった。
5作品とも、自身の短慮によって窮地に追い込まれた人間、度重なる苦労に諦めが滲みはじめた人間、愛されたいと願いながら満たされなかった人間、そういう行き詰まった人たちが、生きる希望を再び見出す瞬間を描いている。
周五郎的時代小説は登場人物のひたむきな生き方が胸を打つわけだが、つまるところ次の3つの行動パターンがその性質を際だたせているのではないかと考える。
1 ひたすら待つ
メールも携帯電話がないから何年も待ち続ける。
2 ひたすら信じる
MixiやWebで検索したら相手の行動が丸わかりの現代と違って相手を信じる。
3 ひたすら演じる
所属できるコミュニティは一つ。男は男、女は女、家臣は家臣の役割に徹する
そこに単純ではない葛藤が生じる。苦しみ悩みながらも、やはり"ひたすら"の方向へ向かう人間の姿の切なさが感動を呼ぶ。考えてみればそれは連絡不足と情報不足によるメイクドラマなのだ。私達は便利と引き換えにドラマを失っているのかもしれないなあと、この一級の時代小説を読んで、しみじみ思う。相手の心の内がわからないからこそ"思いやり"なのであって、わかってしまったら思いやりにはならない。
今日は人間関係に疲れちゃったなという夜に、おすすめ。
子供達の環境教育に投じられた一石。
「"環境保護的に正しい"とされるカリキュラムは、現在進行している悲惨な事態を目の当たりにすれば、子どもたちのなかに現状を変えていこうという意志が育つにちがいないという思い込みの下に進められている。しかし、実際にはこうした悲惨なイメージというものは、自己、そして時間と場所の感覚を形成する途上にある幼い子どもに対して、始末におえない、悪夢のような影響を与えている。」
著者は、熱帯雨林の破壊、オゾン層破壊、地球温暖化、絶滅危惧種の問題などの複雑な環境問題を、あまりに早い時期に子どもに教えようとするのは逆効果であるという。破壊された環境や殺された動物の映像を見せる前に、まず自然を好きになるような機会を用意すべきだと説く。
子どもの地理的、概念的な視野を超えた複雑さは、彼らに混乱を与えて自然に対する恐怖症を植え付けてしまったり、偽善的なうわべだけの環境意識を持たせることになる。年齢に応じた学習プログラムが大事であるとし、著者らの開発した具体的な活動案が提示される。それは、
1 子ども期初期には自然界に共感する心を励まし
2 中期には"秘密基地"遊びなどで探検する心を優先させ
3 思春期の初期には社会的な活動に参加させる
というもの。「4年生まで悲劇はなし」。ある程度の広い視野を子供達が獲得するまでは環境破壊の怖さはできるかぎり見せないでおく。まず自然に対する好奇心や愛情(動物が可愛いなど)を育むプログラムになっている。
「環境活動にかかわっていく本物の姿勢というものは、まず自分で管理できる狭い場所での経験から生まれるものだ」
で、これは本来は小学4年生までの児童の教育について問題を指摘しているわけだけれども大人だって同じかもしれない。好きだから守るのが自然な流れであって、世界の大問題だから守るというのでは動機づけとして弱い。地球温暖化や生物多様性など抽象度が高い環境問題を無理に考える前に、大人もまた「足もとの自然」を大事にするようになれば、結果として環境保護というのは解決に向かうのではないか、と思った。
「愛のない知識が根をはることはない。しかし、初めに愛があれば、知識は必ずついてくる」ジョン・ブラフという人の言葉が印象的。
・ClipSaver
http://home.att.ne.jp/delta/hrymkt/ClipSaver.html
クリップボードの履歴を保存して、過去の内容を再利用できるクリップボード管理ソフト。長い文書作成の際に、頻繁に使うフレーズやデータを、クリップボード履歴に蓄積しておき、すぐ呼び出すという使い方が便利である。特にClipSaverはリストをファイルとして保存して、別の機会にインポートできる機能があるのが素晴らしい。
またクリップボードに取り込んだテキストデータに各種の編集を加える機能が充実している。たとえばこのソフトの説明テキストの一部の以下のようなテキストを、Editメニューからクリップの行修飾→01.行番号 で変換すると、
「
保証はいたしかねます。
設定により最後に使った、内容を残すことができる。
記録した内容の数に限らずファイルの数は1つで済む。
記録した内容は色々な名前をつけて残すことができる。
記録したファイルの内容を結合することができる。
自分自身を Window Top に維持できる。
Clipboard の内容が変わったら自動的に取り込める。
テキスト編集部分を持っているので 簡単な編集やその取り込みなどができる。
リスト部にファイルをドロップする事で ファイル名とそのパスを取込む事が出来る。
」
こんな風になる。
「
01. 設定により最後に使った、内容を残すことができる。
02. 記録した内容の数に限らずファイルの数は1つで済む。
03. 記録した内容は色々な名前をつけて残すことができる。
04. 記録したファイルの内容を結合することができる。
05. 自分自身を Window Top に維持できる。
06. Clipboard の内容が変わったら自動的に取り込める。
07. テキスト編集部分を持っているので 簡単な編集やその取り込みなどができる。
08. リスト部にファイルをドロップする事で ファイル名とそのパスを取込む事が出来る。
」
ほかに各行を""で囲う、行頭に・や>をつける、前・後1字削除、空白行削除、行の各種ソート機能などがある。