阿佐田哲也の麻雀秘伝帳
一流棋士の勝負論も面白いが凄みという点では修羅場、鉄火場の勝負論の方が一枚上かもしれない。表紙の写真の目が常人と違う。麻雀放浪記の著者であり、「雀聖」と呼ばれた阿佐田哲也による麻雀論。とてつもない本である。裏本である。だって、はったりとイカサマの本なのだもの。
阿佐田は最初に麻雀は"運10"のゲームであると断定する。プロ雀士の目から見ると一定レベル以上の雀士の間に技量の差は小さいらしい。そして相手のこころを読むのではなく"つくる"ことが必勝につながると著者は説く。
「あの人は強い、とそれだけ思ってしまっただけでもそのときからあなたは負ける。 たとえば強いと思う人がリーチをかけるとあなたのオリが早くなる。オリというのは和了を放棄することだ。和了を放棄する人が多ければ多いほど相手はやりやすい。 相手はいろいろなイメージを与えることによって、あなたの心をつくってくるのだ。あなただってごく自然に、他人を強いなどと思い込むはずはない。多くは相手の意図的術中いはまり、そう思い込んでいくのである。 偶然の配牌をとり、偶然の自摸で手を作り、お互い大差のない技術常識でやっている以上、ポイントは心理戦にある。マージャンは自然を尊ばない。あくまでも人工的なゲームである。そして相手の人工的ペースに乗ったら負けと思いなさい。」
プロのすさまじい心理戦の実態が明かされている。すべての会話は心理操作のためにある。「やつはなんであんなことをいう必要があるのか」を起点に考えよ。そして余計な情報を与えるな。「自分の手牌および自摸牌に落としている視線は、死んだ視線と悟るべし」とくる。
はったりとならんで重要なのがイカサマである。阿佐田は本書の中で自分は天和を40回もあがったと告白している。運のゲームだからこそ真の必勝法はイカサマであると結論しているのだ。そして自身がかつて勝負師として生きていた頃に編み出したイカサマの数々を全面的に公開した。
積み込み(元禄と爆弾)、エレベーター(牌を隠し持つ)、通し(二人が内通)、ぶっこ抜き(手牌の入れ替え)など、具体的なやり方が示されていく。その記述は配牌過程の綿密な分析や確率論に基づいており、ここまで考えてやっていたのかという点でも唖然とする。相当の勉強と練習量が必要である。
この本の初版は1971年。暴露されたイカサマの多くは手積みを前提とした積み込み系であり全自動麻雀卓全盛の現代では使えないものである。だが、阿佐田のハッタリとイカサマの勝負論は、麻雀以外の勝負事に通じる普遍性を持っている。根底には何事もやるならばとことんやれという哲学を感じる。阿佐田は若い頃、修行のために財布を持たずに雀荘へ出かけたそうである。負けて払えなければ痛い目に遭う状況に自身を追い込んだのだ。たかが麻雀だがされど麻雀。極めた男の哲学は深い。
・科学する麻雀
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/05/post-758.html
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