いつまでも、いつまでもお元気で―特攻隊員たちが遺した最後の言葉
・いつまでも、いつまでもお元気で―特攻隊員たちが遺した最後の言葉
昭和二十年の3月から6月にかけて鹿児島県知覧の基地から特攻隊として沖縄周辺に散ったに若者たちの遺書を、美しい風景写真とともに収録している。ほとんどが二十代ということもあり「御母様、いよいよこれが最後で御座います」という風に、実の母親に別れと感謝を述べるものが多い。
有名人の辞世の句と違って、公開を意図していない個人的な遺書ばかりだ。飾らずまっすぐに心がこもっていて、胸打たれるものが多い。戦争や特攻隊という文脈と切り離して読んだ。人間が文字通り必死で伝えようとしたメッセージの強さを感じた。
一番、印象に残った手紙を引用してみる。
あんまり緑が美しい
今日これから
死にに行く事すら
忘れてしまいそうだ。
真っ青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
六月の知覧は
もうセミの声がして
夏を思わせる。
作戦命令を待っている間に
小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは小鳥になるよ」
日のあたる草の上に
ねころんで
杉本がこんなことを云っている
笑わせるな
本日十三、三五分
いよいよ知ランを離陸する
なつかしの
祖国よ
さらば
使い慣れた
万年筆を"かたみ"に送ります。
「枝幹二 22歳」
偉大な詩人の才能が失われたのか、死を前にしたからこそ詩の才能が解き放たれたのか。巻末には書き手の隊員の写真付きプロフィールがあって感慨深い。
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